内容説明
一八五五年三月一五日の夕暮れ、アメリカ商船カロライン・E・フート号が下田港に来航。平服の紳士、妙齢の婦人と二人の幼い子供連れで上陸した。彼らは何を求めて日本を訪れ、日本に何を見たのか。そして、日本人は彼らに何を見たのか…。日米関係もう一つの原点。
目次
第1章 カロライン・フート号婦人図をめぐる若干の考察(カロライン・フート号の来日;「下田亜米利加婦人図」をめぐって)
第2章 ロジャーズ司令官の下田と箱館―カロライン・フート号「居留問題」を中心に(北太平洋派遣合衆国測量遠征隊;カロライン・フート号の下田;ロジャーズ司令官の下田;ロジャーズ司令官の箱館;ロジャーズ司令官の帰国;ロジャーズ報告とその波紋;下田協約とその後)
第3章 下田「欠乏品交易」とその周辺―カロライン・フート号「貨幣問題」を中心に(ペリー来航と「一ドル=一分替え」の発生;欠乏品交易と「欠乏会所」;欠乏品交易の価格と価額;日本における「銀高・金安」問題;フート号「輸入関税」問題とその処理;ハリス着任と「一ドル=三分替え」の成立;フート号「未払金」問題とその処理)
著者等紹介
山本有造[ヤマモトユウゾウ]
1940年京都市に生まれる。1967年京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。京都大学人文科学研究所助手。その後、京都大学教授、中部大学教授、等を経て、京都大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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やぎたに
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1855年3月下田に来航したアメリカ商船Caroline E. Foote号(箱館奉行所文書の表記はガラニフート、カロレニフート、カラニフート、カラフートなど)。上陸したアメリカ人たちのこと、玉泉寺墓所を写した日本最古の銀板写真の謎など。幕末・日本開国にまつわるあれこれは興味深い。 追加情報:カロライン・フート号は1871年5月にSan Buenaventura, CA沖で沈没。1849年5月生まれのReed家長女ルイーザ(ルイーズ)Louisa/Helen Louiseは生涯独身で1938年没、88歳。2018/12/08