内容説明
親鸞があらわした、横超他力の浄土教。今現在のさとりへ。
目次
1(禅と浄土―二種の仏教経験;真と禅―その対照)
2(真宗とは何か;無限な光;名号)
3(妙好人才市の研究;妙好人)
4(英訳『教行信証』への序(未完))
著者等紹介
鈴木大拙[スズキダイセツ]
1870年、石川県金沢市に生まれる。本名、貞太郎。1891年に上京後、鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅。1896年の〓八接心で見性。1897年より米国でオープンコート社編集員となり、1909年に帰国。学習院教授、東京帝国大学講師を歴任。1921年大谷大学教授となり、The Eastern Buddhist Societyを設立、禅や浄土系思想を発信する拠点とする。1949年、学士院会員となり、文化勲章を受賞。1966年、入寂
佐藤平顕明[サトウタイラケンミョウ]
1939年、大分県臼杵市に生まれる。1961年京都大学文学部哲学科宗教学卒業。1963年より1966年まで鈴木大拙師に師事。大谷女子大学教授、大谷大学非常勤講師、ロンドン大学客員教授を歴任後、現在ロンドンにて佛教協会理事、浄土真宗正行寺支院Three Wheels(三輪精舎)主管(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬弐仟縁
27
地元図書館の新刊棚より。真宗Shin Buddhism。禅は瞑想し、浄土は感謝する(17頁)。地獄は、自らを見ることができません、自分自身の光を持たないから(89頁)。娑婆世界はまったく静寂な「光明」に輝く浄土そのものであり、一人ひとりが阿弥陀自身という所説は真実。眼が分別で曇っている人には生じないことを忘れてはなりません(100頁)。要約すれば、自力の消耗が起こると、自力は、自らが自力に留まる限り無でしかなく、自らに自己消耗を起させるのは実は他力にほかならないということを認めます(113頁)。2021/05/03
roughfractus02
6
あらゆる関係の網の目としての無限の実在である宇宙に触れる悟りの体験に入るには、自力と他力の2つの態度がある。前者を禅、後者を真宗に代表させる著者は、2つの態度に二元論的な論理や哲学からの脱却という共通性を折に触れて語っていた。両者の違いは、二元論のベースにある個つまり自己に打ち克つか、捨て去るかである。真宗の側から悟りの態度を語る本書は、悟りの境地に達するという目的を思い上がりとして大きなものに委ねる態度を日々の生活で持続させる才市らの態度を、その言葉を通して示しつつ、禅の自力の態度を二重写しさせていく。2021/03/21
Go Extreme
3
禅と浄土―二種の仏教経験:信仰的仏教と思索的仏教 浄土門(他力)と聖道門(自力) 浄土の信の定型句としての念仏 思弁型の禅念仏 黙祷的タイプの念仏 本願への信の重要性 二元の世界を破る念仏 信仰タイプの禅タイプへの接近 真と禅―その対照 真宗とは何か:自己とは何かという問い 絶対的自己との出会い 機法一体を具現する念仏 無限な光:本願と自己 名号:名号の力学 私たちと共にある阿弥陀仏 妙好人才市の研究 妙好人 『教行信証』への序:他力―絶対的受動性の真実 限りない無礙の光明としての浄土 2021/04/03