目次
第1章 私の入信と脱会体験(一九九三年、東京―プロローグ;人生の目的―教団との邂逅;受験失敗―孤独と喪失 ほか)
第2章 なぜ人はカルトに惹かれるのか(カルトに入る時期や入信者の傾向はあるのか;宗教にニセモノと本物の違いはあるのか;なぜ「正しさ」に依存するのか ほか)
第3章 どうしたら脱会できるのか(どうして脱会する必要があるのか;脱会という「正解」を押しつけていないか;カルトのことを偏見の目で見ていないか ほか)
著者等紹介
瓜生崇[ウリウタカシ]
1974年、東京都生まれ。電気通信大学中退。大学在学中に浄土真宗親鸞会に入会、同講師部にて十二年間の活動後、脱会。脱会後にIT企業や印刷会社のシステムエンジニアを経て、2011年から滋賀県東近江市の真宗大谷派玄照寺住職。脱会後はカルトの脱会支援活動に尽力するほか、大学や高校、寺院などでカルト問題啓発のための講演をしている。大阪大学キャンパスライフ健康支援センター招へい教員。真宗大谷派青少幼年センタースタッフ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ネギっ子gen
56
なぜ、この本に惹かれたのか? この読メのレビューで本書を知った。以前から、親鸞会には(問題性も含め)関心があった。だから、その会の元幹部が、この書名で「法蔵館」というところに惹かれた次第。<本書は、いわゆる「カルト」と言われる教団に入っていく人に、どう私たちが向き合っていくべきかを課題にしている。最初に私自身が、浄土真宗親鸞会という新宗教での経験とそこで感じたことを書き、そしてそこからカルトとはそもそも何か、どうして人はカルトに入るのかを考察し、最後に脱会支援に関わる中で考えてきたことを書く>と。良書。⇒2022/08/19
おいしゃん
41
カルト教団の幹部まで務めたあと脱会し、いまは僧侶のかたわら脱会支援をする著者だからこそ書けることばかり。答えはないとはわかっていても生きる意味を考えてしまうのは、信者も著者も自分も同じ。その悩みの中で、支えや拠り所をどこに求めるかで行き先が変わるのだろう。だからこそ紙一重であり、決して人ごとではない。2022/03/12
ホシ
25
良書。著者の実体験から人がカルトに惹かれる構造と脱カルトの在り方が書かれます。瓜生氏のyoutubeを時々見ますが、人柄がよく現れています。抱負な知識と実体験に裏打ちされた内容は核心的で真実味に富み、一文一文に深みや重みがある。私は現代人の教養として「宗教とは何か」を知っておく必要があると考えますが、私のような人には必読書といって過言ではないです。信仰のある人、ない人、みんな読んで損はありません。オウム真理教に関しても実に示唆に富みます。宗教は主観的問題だからこそ客観的な目が必要。そのための一冊です。2022/06/21
くさてる
23
著者は現在、脱会支援に携わる宗教家。自身の入信のきっかけやカルト活動、たまたま手にしたマインドコントロールの本をきっかけにした脱会、それ以降の人生などが落ち着いた筆致で具体的に書かれていて読みやすかった。カルト教団のネットでの批判対応などのノウハウもなるほどという感じ。しかしそれ以上に大切なのは、現役の信者に向けてのメッセージがここにあるということだろう。それはとても真摯なもののように私には感じられました。2020/11/25
テツ
20
独りで世界と対峙する術を知らず、何一つ拠り所がないままに社会に放り出された人間に安心を与えることは決して悪いことではないけれど、そうして集まってきた、言い方は悪いが精神的に末成りの瓢箪みたいなのを利用して集団でよろしくない方向に爆進する奴らが存在することをまず知るべき。そしてカルト側ではないぼくたちは、そうした拠り所のない人々の小さな拠り所の一つになるように生きていくべきだ。職場の仲間でも、立ち話する近所の人でも、そういう薄い関係でもいい。小さな縁が積み重なればなかなかそれを振り切れなくなると信じている。2021/07/21