出版社内容情報
戦国史の主役は大名・武将と相場が決まっているが、信長対本願寺の戦いにおいてのみ、無名の百姓の一揆が一方の主役に躍り出る。統治する側でなく、統治される側を主役とする歴史叙述を、私たちはどうやって獲得してきたのか。治者目線で書かれた「軍記」という「物語」の作者の主張を丁寧に腑分けすることにより、そこに隠された意図を読み解き、物言えぬ者たちの実像をあぶりだす。
【目次】
はじめに―「石山」呼称問題
第一章 軍記の治者目線
第二章 同時代の軍記に描かれた「本願寺」と「一揆」
第三章 『甫庵信長記』と元和・寛永期の軍記
第四章 寛文・延宝期の読み物的軍記
第五章 元禄期の軍記と宗門書の交錯
第六章 法座の文芸
第七章 「庶民の石山」の系譜
第八章 明治十年代の爆発的流行
第九章 「知識人の大坂」
第十章 近代の知識人たち
第十一章 「石山合戦」の「常識」化
第十二章 「石山合戦」という術語
内容説明
人々は一向一揆に何を託したか。信長と死闘を繰り広げた「一向一揆」や「石山合戦」は、後世に創作された虚像なのか?軍記という物語に隠された作者の意図を読み解き、物言えぬ者たちの実像をあぶりだす。
目次
はじめに―「石山」呼称問題
軍記の治者目線
同時代の軍記に描かれた「本願寺」と「一揆」(1550~1600年ごろ)
『甫庵信長記』と元和・寛永期の軍記(1610~1660年ごろ)
寛文・延宝期の読み物的軍記(1660~1690年ごろ)
元禄期の軍記と宗門書の交錯(1690~1720年ごろ)
法座の文芸(1710~1770年ごろ)
「庶民の石山」の系譜(1770~1880年ごろ)
明治十年代の爆発的流行(1870~1900年ごろ)
「知識人の大坂」(1780~1850年ごろ)
近代の知識人たち(1880~1910年ごろ)
「石山合戦」の「常識」化(1910~1920年ごろ)
「石山合戦」という述語
著者等紹介
塩谷菊美[エンヤキクミ]
1957年、神奈川県に生まれる。1979年、早稲田大学第一文学部日本文学科卒業、神奈川県立高校教育職(国語科)、1997年、和光大学人文学部文学科専攻科修了、2003年、早稲田大学にて学位取得博士(文学)、現在、神奈川県立高校非常勤講師・同朋大学仏教文化研究所客員所員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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