出版社内容情報
戦争責任とは何か。それは、戦時中に戦争を煽っていた人たちのみならず、戦前・戦中にその動向に抗わず、戦後になって自由な発言・行動が可能になったにもかかわらず、戦時中の状況に直面しようとしない我々のあり方が問題なのだ。戦争責任とは我々の罪責なのである――。
本書は、仏教者の戦争責任を生涯にわたり粘り強く追及し続けた禅研究者・市川白弦の抵抗と挫折、煩悶と憤怒の記録。
戦前・戦中・戦後を通じてつながっているその問題を考究した「仏教者の戦争責任」、反戦・反国体になったもののその意志を貫くことができなかった自責の念から、臆病者の社会的連帯の自覚を語った「挫折と転向」、たとえ皇道仏教に協力しなかったにせよ、それを批判し乗り越える努力をしなかった以上、実際にはその協力者であった責任から逃れられないと論じた「現代仏教の自己回復」などを収録。
今なお多くの刺激とさまざまな示唆を与え続けている、現代の仏法と王法を考察した名著、待望の文庫化。
※文庫化にあたっては、1993年に法藏館より刊行された『市川白弦著作集』第3巻所収の『仏教者の戦争責任』を底本としました。
【目 次】
はしがき
第Ⅰ部
仏教者の戦争責任
挫折と転向
第Ⅱ部
禅における自由
仏教における平和
現代仏教の自己回復
日本における仏教社会主義の問題
第Ⅲ部
倉田百三論
西田幾多郎論―絶対無のつまずき―
解説 臆病ゆえの挫折と抵抗(石井公成)
内容説明
戦争責任、それは戦争を煽っていた人たちのみならず、その動向に抗わず、戦後に自由な発言・行動が可能になったなかでも戦時中の状況に直面しようとしない我々のあり方が問題なのだ。戦争責任とは、我々の罪責なのである―。仏教者の戦争責任を生涯にわたり粘り強く追及し続けた禅研究者・市川白弦。その抵抗と挫折、煩悶と憤怒の記録、待望の文庫化。今なお多くの刺激と様々な示唆を与える、現代の仏法と王法を考察した名著。
目次
第1部(仏教者の戦争責任;挫折と転向)
第2部(禅における自由;仏教における平和;現代仏教の自己回復;日本における仏教社会主義の問題)
第3部(倉田百三論;西田幾多郎論―絶対無のつまずき)
著者等紹介
市川白弦[イチカワハクゲン]
1902年岐阜県に生まれる。臨済宗僧侶、社会運動家。1921年臨済宗大学入学。1936年臨済学院専門学校教授就任。1952年京都市教育委員を務める。1965年「べ平連」に参加。花園大学教授を経て、同大学名誉教授。1986年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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