内容説明
六世紀中国、梁朝の初代皇帝として君臨した武帝は、長期にわたる安定した政権を維持し、南朝文化の盛世をもたらした。彼はまた中国史上、最も仏教信仰に篤い皇帝であり、自ら菩薩戒を受けて皇帝菩薩とも呼ばれた。しかし、侯景の侵入に遭い、王朝は呆気なく滅亡し、武帝は幽閉のまま餓死する。それは果たして「溺信」が招いた悲劇だったのか。類い稀な皇帝のドラマチックな生涯とその時代の精神を鮮やかに描き出した不朽の傑作。
目次
1 序説
2 六朝時代の性格
3 武帝の生立ち
4 武帝の政治
5 梁代の文化と武帝の教養
6 武帝と仏教
7 梁の滅亡―侯景の乱
著者等紹介
森三樹三郎[モリミキサブロウ]
1909年京都府に生まれる。京都大学文学部哲学科卒業。大阪大学名誉教授。文学博士。1986年、逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kuroma831
25
中国思想史の泰斗による1956年の著書の文庫化。梁の武帝蕭衍を軸に南朝の思想や士大夫精神を辿る。劉宋以後の南朝は軍人皇帝が続いたが、蕭衍は即位前から竟陵八友として斉の文壇をリードする第一級の教養人であり、軍人としての功績で禅譲を受けた宋、斉、陳とは異なる。その蕭衍が文人皇帝として文化的なパトロンになった功績は大きく、北魏分裂による北朝の混乱という時勢の有利はあれど、五十年以上の治世で六朝文化の成熟をもたらしたことは評価される。2025/05/01
さとうしん
21
政治の時代であった漢代に対して文芸・宗教の時代であったという六朝。その時代性の中に梁の武帝の生涯を位置づける。創業の君主であると同時に亡国の君主ともなったという珍しい経歴の持ち主だが(心当たりとしては王莽があるのみ)、彼の「寛容仁慈」の限界をもえぐる。儒学が「治国平天下」につながるのに対し、仏教信仰はまず個人の営みとして現れるという。「鎮護国家」につながらない為政者の仏教信仰は日本の平安時代のそれと対比させることができるのではないか。2021/09/13
maqiso
5
六朝には官僚である士大夫が貴族化し、政治から離れた文化が生まれた。漢代からの儒学と魏晋に栄えた老荘に加え、文学と史学を広く知ることが教養とされた。当時の士大夫は文学を重んじ実務を軽視したため、政治には寒人が重用された。南朝の皇帝は軍人出身が多く恐怖政治もあったが、梁の武帝は一流の文人から帝位に就き、長い治世の間に文芸を栄えさせた。仏教に傾倒して寛仁の政治を行い犠牲・体刑の廃止をしたが、慈悲は庶民までは行き渡らず、王族の対立が温存されて梁滅亡の要因ともなった。2023/10/15
じぇろポーta
4
梁を興し50年の太平の世を築くも侯景の乱により囚われ非業の死を遂げた武帝。その生涯、政治手腕、仏教信仰の在り方を解説し、また南朝における歴代王朝の同族殺しの陰惨な特性や寒門・軍門出身者と貴族化した士大夫層が対立した社会の姿にも触れている。武帝の仏教への溺信が国を亡ぼしたという後世の批判も故無きことではないとしつつ、南朝社会で隆盛した玄儒文史の豊かな教養それ自体の致命的弱点も指摘。王法に代わり仏法で天下を治めようとした実験とその失敗。時代的限界のなか、その悲劇的最後にも拘らず最もよき人生を生きぬいたとする。2021/10/24
T.J.
1
梁朝50年という泰平の時代の創始者であり、同時に亡国の主であった梁の武帝を、彼の生きた六朝という時代のなかで活写した一冊。漢代の儒教から仏教、道教、玄学の隆盛の流れを意識しつつ、またそのなかで生まれる六朝人の精神の変遷、さらには寒人重用という南朝全体を貫徹する政治動向を描写し、武帝の仏教傾倒と侯景の乱による梁朝滅亡の有り様を描き出す。2022/02/20
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