内容説明
私たちは「古典」とどう向き合っていけばよいのか。「読む」ことの楽しさ、について考える。
目次
序 「古典」を問いなおす―これからの国語教育のために
1 「物語の祖」ということ―『竹取物語』について・その一
2 話型と「主題」―『竹取物語』について・その二
3 「かぐやひめ」の禁忌―『竹取物語』について・その三
4 物語は増殖する―『平家物語』について・その一
5 敦盛と直実―『平家物語』について・その二
6 扇の的―『平家物語』について・その三
7 深川へ、そして、深川から―『おくのほそ道』について・その一
8 虚実を超えた詩的空間―『おくのほそ道』について・その二
9 旅の終わりは旅の始まり―『おくのほそ道』について・その三
10 西鶴も載っていた―「大晦日はあはぬ算用」
附、『大晦日はあはぬ算用』(久保田万太郎訳)
著者等紹介
有働裕[ウドウユタカ]
1957年、兵庫県生まれ。東京学芸大学大学院修士課程修了。東京学芸大学附属高等学校大泉校舎教諭を経て、愛知教育大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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虎哲
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有働裕さんの書く文章は理知的でユーモア(51p『それにしても昔の学者はえらいものである。私などは年に何回出家しなければならないかと、この記述を読むたびに思う。』)と示唆に富んでいる。古典教材を考えるという副題の通り、古典教育の意義や教科書における古典の扱い方について、国文学者や著者自身の研究成果を踏まえながら、やや批判的に論じている。研究成果を踏まえ、定番とされる古典の扱いに対しても疑問を投げかけ続けることが、これからの古典教育を担う者に求められていると感じた。私は西鶴を読んでいないので、読んでいきたい。2017/07/29
花
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古典教育の衰退を憂う気持ちが著者にこの本を書かせたそうです。帯に引用されている「読むという行為の本質は復元ではなく創造」という言葉に共感しました。授業でも個人の読書でも「テキストの間から何かが生産されなければ、そこに読みは存在しない」。古典のように自分との距離が遠いものを前に、そこまで主体的に読書ができているだろうかと自省しました。2010/12/17
もん
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教科書に出てくるような古典作品を読み直したくなる一冊です。こういう考え方はしなかったなぁ、と。教師の理解によって伝えられることは限定されると思うので、古典作品についても探求していきたいと思います。2010/11/22