出版社内容情報
「繆斌(みょうひん)工作」が実現していれば、ヒロシマ・ナガサキもソ連の満州・北方領土侵略もなく、戦争は終結していた!
日中和平工作史上最大の謎であり、今も真偽の論争がある繆斌工作。約400点の文献資料に基づいて、インテリジェンスの手法オシント(open-source intelligence)と、検事として培ってきた「情況証拠を総合する事実認定の手法」で、繆斌工作の真実性を解明・論証する渾身の書。
軍部・政府中央のインテリジェンスの絶望的お粗末さを明らかにし、今日に通ずる反省・教訓を提示する!
?繆斌工作とは
重慶の?介石の和平交渉の使者として1945年3月、繆斌が来日。小磯國昭首相、緒方竹虎情報局総裁、東久邇宮稔彦王、石原莞爾らはこれを強く推進しようとしたが、重光葵外相らが「謀略」として徹底的に反対した。最終的に天皇が工作中止の引導を渡した。
第1章 和平工作の諸相
第1 船津工作から銭永銘工作まで
――客観的には実現の見込みは乏しかった
船津工作/トラウトマン工作/宇垣工作/汪兆銘工作/小野寺工作/蘭工作・桐工作/銭永銘工作
第2 戦争末期に試みられた中国との和平工作
――実現の可能性を秘めていた
何世楨工作/吉田東祐によるその後の工作/今井武夫による工作/中山優・傅涇波、スチュワート工作/安江仙弘陸軍大佐によるユダヤルート工作
第3 欧州を舞台とする和平工作
――アメリカのソフト・ピース派のアレン・ダレスらOSSが主導、アメリカの和平の意思を示すが日本の為政者の無理解により実らず
バッゲ工作/小野寺工作/欧州での和平工作に活躍したアレン・ダレスとOSS/海軍の藤村ルートによるダレス工作/バーゼルの国際決済銀行(BIS)の吉村、陸軍の岡本、外交官加瀬らによるダレス工作/バチカン工作
第2章 ?介石論 ?介石は日本との和平を求めていた
?介石は、日本を深く理解していた/反共と国共合作のジレンマに悩み続けた?介石/カイロ宣言の甘言と、テヘラン、ヤルタでのスターリン、ルーズベルト、チャーチルの裏切り/?介石は中国を裏切るヤルタの密約を早くつかみ、苦しんだ/?介石は、満州問題の特殊性をよく理解していた/?介石は、日中戦争の「国際的解決」を基本方針としつつ、日本との和平方策も捨てず、それは状況に応じて変化していた/?介石の「以徳報怨」は、その一貫した対日姿勢の具体化だった/?介石の二面性――鉄の意志と冷酷さ/?介石が選んだ「人」へのメッセージは一貫していた
第3章 アメリカに日本との和平の意思はあった
?介石には日本との単独和平のカードもあった/
内容説明
日中和平工作史上最大の謎であり、今も真偽の論争がある繆斌工作。約400点の文献資料に基づいて、インテリジェンスの手法オシント(open‐source intelligence)と、検事として培ってきた「情況証拠を総合する事実認定の手法」で、繆斌工作の真実性を解明・論証する渾身の書。
目次
第1章 和平工作の諸相(船津工作から銭永銘工作まで―客観的には実現の見込みは乏しかった;戦争末期に試みられた中国との和平工作―実現の可能性を秘めていた ほか)
第2章 〓介石論 〓介石は日本との和平を求めていた(〓介石は、日本を深く理解していた;反共と国共合作のジレンマに悩み続けた〓介石 ほか)
第3章 アメリカに日本との和平の意思はあった(〓介石には日本との単独和平のカードもあった;鍵はアメリカの日本との和平意思の有無にある)
第4章 繆斌工作は真実だった(繆斌工作の概要;繆斌工作にかかわった人々―心ある「国士」たち ほか)
著者等紹介
太田茂[オオタシゲル]
1949年福岡県生まれ。京都大学法学部卒。現在、虎ノ門総合法律事務所弁護士。1977年大阪地検検事に任官後、西日本、東京等各地の地検、法務省官房人事課、刑事局勤務。その間、1986年から3年間北京の日本大使館一等書記官。法務省秘書課長、高知・大阪地・高検各次席検事、長野地検検事正、最高検総務部長を経て、2011年8月京都地検検事正を退官。早稲田大学法科大学院教授、日本大学危機管理学部教授を8年間務めた。剣道錬士七段。令和2年秋、瑞宝重光章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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