内容説明
三島由紀夫、大岡昇平、平野謙、埴谷雄高たちの新たなるレクチュールを通して、1930年代の言語空間の廃墟を浮び上がらせ、現代から文字言語の危機の系列を辿りつつ、知の閉域を踏破をめざした新評論集
目次
三島由紀夫論(死刑囚の不死;複製技術時代のナルシス)
大岡昇平論(言葉という影へ;母という歴史)
中村光夫論(リアリズムの廃墟;極言の言葉)
平野謙論(プティ・ブルジョア・インテリゲンツィアの背理;フィクションとしての人民戦線)
複製の廃墟(「死者」の形而上学;媒介者というファシスト/無媒介の運動)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
恋愛爆弾
3
やべえ。2020/09/10
のぞむ
2
絓秀実氏の本2冊目。「三島由紀夫論」と平野謙論、「死者の形而上学」が特に面白かった。中村光夫が気になった。今後は表象=代理機能の失調を意識しようと思う。2023/06/12
トックン
1
複製(芸術時代)=大衆消費社会をキーワードに現代と昭和十年(1935)代を重ね焼きし、小林秀雄の「社会化した私」から人民戦線を読み取る平野謙の思想を再検討。平野の人民戦線論は「全体性」という鬼っ子を生み、野間宏『暗い絵』のブリューゲルの絵画や横光利一『旅愁』、第四人称の移動の問題へ受け継がれ、戦後埴谷雄高に『死霊』を書かせる。埴谷のカント的二律背反≒「自同律の不快」のヘーゲル的「存在の革命」(客体との同一化)による解消はファシズムへの従属=主体化と紙一重。別の可能性として花田清輝の「運動」が引き出される。2017/06/15
1
再読。やはり、三島由紀夫論が圧巻。大塚英志が三島由紀夫を「ディズニーランド」と言っていたと思うが、そのようなキッチュな、もっと言えば複製技術時代に相応しい作家としての三島由紀夫を浮かび上がらせている。原爆投下に「世界の終わり」を見た三島由紀夫はゾンビ状態(=「廃墟」)に投げ出される。そのような「白昼夢」のような世界の中で、遠近法を導入するための「文化概念としての天皇」(『文化防衛論』)を必要としたのではないか。ベンヤミン-ソンタグの「写真論」から三島由紀夫を「写真」の作家として論じている部分とか切り口が。2017/05/19
0
再読。読んでいて気づいたのだが、この本は大きく二つに分けられることが可能であり、前半の三島由紀夫論と大岡昇平論、後半の平野謙論と埴谷雄高論に、初期の『花田清輝』や『メタクリティーク』の表層批評(蓮実風?)からの質的切断を見ることが出来る。後者の平野謙論から始まる「昭和十年代」における文学者達が表象=代行機能の失調に直面しながら、より高次のレベル(「全体性」「理念」……)の下で、表象=代行機能を回復してしまう事態を観察/記述する戦略的変化に現れている。絓のこのような戦略上の転換をもたらしたのは中村光夫か。2020/07/28
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- 和書
- 愛と死、そして生活