出版社内容情報
日本は大正時代、世界の5大国の1つになった。しかし独自性を発揮出来ず、自己喪失に陥る。その穴を埋めるべく進められた大東亜共栄圏構想、戦争……。本書では大正時代~昭和前期に顕著になった日本人の「自信喪失」状況を浮かび上がらせる。それを乗り越えるべくブームになった日本浪漫派、京都学派による「日本論」を解説し、国民に与えた影響を描き出す。同時に、欧米との関係の失敗を分析し、日本の未来へのヒントを提示する。
内容説明
米欧との“文明の戦い”に挑む「空気」は、こう作られた。自己喪失とリアリズムの霧散。そこに到るまでの必然を、明治・大正・昭和の人々の苦悩と葛藤のうちに描き出す。政治テロはなぜ起きるのか!?
目次
第1章 「明治の精神」は、どう終わっていったのか
第2章 「教養主義」は、なぜ無力だったのか(大正1)
第3章 「大衆社会」は、何をもたらしたのか(大正2)
第4章 「ぼんやりとした不安」が導いたもの(昭和1)
第5章 肥大化する「空気」と、自己喪失(昭和2)
第6章 日本近代とは何だったのか?
著者等紹介
浜崎洋介[ハマサキヨウスケ]
1978年生まれ。文芸批評家。雑誌『表現者クライテリオン』編集委員。日本大学芸術学部非常勤講師。東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了。博士(学術)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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南北
57
芥川龍之介が自殺したときに残した「ぼんやりした不安」をキーワードにして近代日本の精神史を分析した本である。明治以降、過去と切り離された「外的自己」が「内的自己」とうまく接合せず、自己喪失してしまったのが近代日本であり、その行き着く先が大東亜戦争としている点は納得できた。戦後もこの傾向は変わらず、バブル崩壊やコロナ禍での反応などもそれまでの常識では対応できない恐怖に襲われると「空気」を生み出してしまい、あらぬ方向に進んでしまう。恐怖はいつまでも人の心にとどまることはない。落ち着いた対応こそが必要だろう。2024/01/10
ころこ
42
明治中期の「正」(暮らしは低く、思いは高く)明治後期の「反」(暮らしは高く、思いは低く)を経て大正期の「合」(暮らしは高く、思いも高く)に至ることで、なぜか日本人は不安に陥った。近代化すればするほど自己喪失に陥っていく日本人をみつめる、これが本書のテーマだ。しかし、歴史的な事象としてではなく、今のテーマとして読み解いていく。実は明治から敗戦、敗戦から今日までは等距離にある。これを理想の60年代「正」、高度経済成長「反」、高度経済成長以後、バブルまでを「合」とすると、戦前の太平洋戦争とバブル期以後の我々の時2022/12/27
うつしみ
10
日本人の自己喪失を辿る試論。西欧という圧倒的パワーを持つ他者と邂逅してこの方、今も日本人の内面を抉り続ける「ぼんやりとした不安」について、筆者は世論や文学史を紐解きながら考察していく。明治にいう立身出世とは西洋流の作法を身につけることであった。かくして東洋人の顔して西洋人のふりをしたインテリ層が形成されていく。それらは民族の内面から湧き起こり形成されてきた価値体系ではないため、借り物感が否めず個人の中で真善美が一致しない。その反動が天皇機関説攻撃と国体明徴声明という空気の支配を生み、亡国の道へ向かわせた。2024/03/16
ブルタ
3
これは完全に名著。再読します。2024/04/28
乱読家 護る会支持!
3
僕の中で「腑に落ちた」ことは、、、 『「攘夷」の為の「開国」だった明治維新は、長い間その本質を国民一人一人が抑圧し、隠してきた。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争と時代が流れ、「攘夷」が表層化したのが「大東亜戦争」だった』とすれば、明治から昭和前半までの日本近代史は一続きの歴史として、理解しやすくなります。 また、戦後の高度成長期も日本人の「攘夷」の深層意識が影響して作り出したのかもしれませんし、中国の台頭により保守主義に目覚めた人が多くなっているのも、その文脈で理解出来ます。2023/11/08