内容説明
「穢多」に対する差別は、江戸後期以降、歴史的・社会的によって激化したが、その際、民衆の差別意識を支えたのが、「穢れ=ケガレ」の観念であった。かつて神主は自ら獣を屠り、神前に供えていた。すなわち、古代の日本には、「死穢」「血穢」といった観念は存在しなかった。ところが神道思想家は、日本語である「ケガレ」に、仏教に由来する「穢」の観念を潜りこませ、あたかもそうした観念が、太古の昔に存在したかのように仮象した。倒錯した伝統主義であり、「ナショナリズム」である。穢=穢れ=ケガレの形成過程を検証しながら、差別の実相とナショナリズムの本質に迫る資料集。
目次
解説篇―穢れとナショナリズム(ケガレと差別をめぐって;ケガレ史観をめぐって;太古の日本にケガレはあったのか;ケガレと神道・ケガレと仏教;なぜケガレは日本固有とされたのか ほか)
資料篇(足利近傍の賎民(一八八六年)
穢多は他國人なる可し(一八八六年)
ヱッタハ越人ニシテ元兵ノ奴隷トナリタルモノナル事及ビ其他ノ事ドモ(一八八七年)
穢多に就ての人類學的調査(一八九七年)
西宮の傀儡師(一九一九年) ほか)
著者等紹介
礫川全次[コイシカワゼンジ]
1949年生まれ。歴史民俗学研究会代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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とまる
1
最も印象的だったのは瀧本豊之輔の“穢れは一つの状態である”“如何なる状態を以て穢れとなすべきかは、何を完全となすかによって定まる”という文章。ケガレという取り去れないものが拭い難い差別を生むのではない。差別が起こり、差別することの合理化・正当化のためにケガレという概念が持ち込まれただけ。今まで文献を読む中で、当然の前提のような「穢れ」という言葉に疑問を持たなかったことを反省。穢れているとされたか否か、でなく なぜor どのようなものが避けられ差別を受けたか と置き換えて読む習慣をつけていきたい。2012/04/25