出版社内容情報
伊利麻路(いりまじ)とは武蔵国府と上野国府を結ぶ国道(官道)の通称である。伊利麻路の要衝、狭山市入間川には、足利基氏が東国を治めた入間川幕府があり、柏原(狭山市)に全国より武具製造技術者を集めて団地としていた。武蔵国府(東京都府中市)から上野国府(群馬県前橋市)までの「伊利麻路(いりまじ)=鎌倉街道」のルートを詳細な調査によって大胆に推定し、知られざる歴史や周辺地域の文化にも光をあてた、出色の地方史研究! 『先代旧事本紀』研究の第一人者である著者による書き下ろし最新刊!!
◆序 章
◆第一章 「伊利麻路」と武蔵国
「伊利麻路」の名称
武蔵国創建と武蔵国府
武蔵国府(東京都府中市)への道
伊利麻路のルート
武蔵国と東山道武蔵路
武蔵国の国分寺と瓦窯業
伊利麻路と入間郡家(衙)
入間郡家(衙)の所在地考察
入間郡家と出雲伊波比神社/地名「殿山」は入間郡家跡/地名「グンデン」は郡田か、軍団か/地名「大将軍」と「大将陣」/稲荷山公園古墳群と直刀/「郡厨」の須恵器杯/「入間郷」の刻銘ある鰐口/地名「高倉」/製鉄と窯業遺跡
伊利麻路に「悲田処」
◆第二章 伊利麻路にまつわる歴史・伝承・遺跡
射留魔の伝説(「入間」「伊利末・伊留末」の語源説話)
高麗福信と入間宿祢物部広成
高麗福信 入間宿祢物部広成
坂上田村麻呂と伊利麻路
源頼義・義家父子と伊利麻路
大国魂神社/所沢市北野天神社/金鑽神社
畠山重忠と夙妻太夫悲恋物語
清水冠者源義高と大姫の悲恋物語
源義高を偲ぶ遺跡
清水八幡宮/影隠地蔵尊/木曽殿館跡と斑渓寺
日蓮聖人と児玉時国
新田義貞鎌倉攻めと伊利麻路
新田義貞の挙兵/新田義貞生品明神社前で旗挙/武蔵国所(幕府)と柏原(狭山市)武具製造団地
増田家/半貫山鋳物師遺跡/石川家/半貫楽太郎家鋳物師遺跡/長谷川家・剣明神社/白鬚神社の懸仏/円光寺聖観世音菩薩像
入間川御所以後の伊利麻路の争乱
応永二十三年(一四一六)の入間川の陣/応永二十四年(一四一七)の入間川合戦 長尾景仲の入間川陣/三ツ木原(狭山市堀兼)の戦/川越夜戦
◆第三章 伊利麻路と文芸
伊利麻路と和歌
武蔵野/堀兼の井/入間川と入間言葉(逆さ言葉・入間様)
大蔵流 狂言入間川
曽我物語
唐糸そうし
あとがき
伊利麻路(いりまじ)建設の目的は上野国府(こうずけこくふ・群馬県前橋市)と武蔵国府(むさしこくふ・東京都府中市)の連絡のためであって、終点を武蔵国府までとしているが、これに対して、東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)は武蔵国が宝亀二年(七七一)に東海道に所属替えになってから作られたためか、東海道を神奈川県海老名(えびな)市付近から別れ府中(東京都府中市)に向かった道が国府より1キロメートルばかり西に寄った府中市分梅 町(ぶばいちょう) 付近で東山道武蔵路とつながり、武蔵国分尼寺(むさしこくぶあまでら)の南付近で国府に向かう伊利麻路と交叉して、所沢市街地を通り熊谷方面に向かっている。
この道路状況によって、伊利麻路は武蔵国府創建当初建設された道であり、東山道武蔵路は武蔵国が東山道より東海道に所属替えされた後に建設された道であることがわかるのではなかろうか。
●著者の大野七三さんは1922年埼玉県狭山市生まれ。米国クレイトン大学哲学博士。同日本校特任教授。著書に『先代旧事本紀訓註』(校訂解題)、『日本建国神代史』『神々の原像』他多数。