出版社内容情報
空爆にさらされつづけた市民を追った記録。
米英軍によるイラクへの空爆が開始された2003年3月20日、ブッシュ大統領がフセイン大統領に突きつけた「48時間亡命期限」の切れたその時、豊田直巳はイラクへ入った。しかし「48時間」が切れる数時間前、すでに犠牲者は出ていた。
プロローグ
序 ヒロシマからイラクへ
1
3月20日(木) 「四八時間」
3月21日(金) イラク情報省
3月22日(土) 「人間の盾」
3月23日(日) 米兵のパラシュート降下?
3月24日(月) プレス・バス
3月25日(火) アーシクル(砂嵐)
3月26日(水) ガイガーカウンター
3月27日(木) 無差別爆撃
3月28日(金) 安息日
3月29日(土) 公式ガイド
3月30日(日) プレスセンターの移転
3月31日(月) バー・宮嶋
2
4月1日(火) 長期戦?
4月2日(水) 酒屋
4月3日(木) 停電の夜
4月4日(金) 影武者?
4月5日(土) クラスター爆弾
4月6日(日) 米軍戦車の破壊
4月7日(月) チグリス川西岸
4月8日(火) パレスチナホテルへの攻撃
4月9日(水) 「バグダッド陥落」
3
4月10日(木) 「略奪」と放火
4月11日(金) アリババ
4月12日(土) ビンの「墓標」
4月13日(日) 田舎の暮らし
4月14日(月) 「ドーハの悲劇」
4月15日(火) 劣化ウラン弾
4月16日(水) ハウザという組織
4月17日(木) マハムディーヤの戦車
4月18日(金) 最後の取材
エピローグより
2003 年8月6日、午前8時15分。鐘の音と共に、群れをなす人々のざわつきは収まり、否応なしに耳の中で増幅する蝉の鳴き声がその蒸し暑さを倍加させる広島に私はいた。額から噴出し、首筋を滴り、背中を濡らす汗。しかし、58年前の原子爆弾の炸裂と同時に人々を焼き殺した閃光は私の目にはもはや見えなかった。しかし、ヒロシマ。
「ダイ・イン」と呼んで、殺された死者たちと共にあろうとする人々が横たわった地面。傍らに立つ原爆ドーム。その向こうの流れを止めたかのような元安川の水面。目を閉じれば私のような「戦後世代」の者にすら、熱線に焼け爛れた肌をさらしながら、「水をください。どなたか水をください」と呻き、さ迷う無数の人々の姿が瞼に浮かぶヒロシマ。
もちろん私も「〈ヒロシマ〉といえば 〈ああヒロシマ〉と やさしいこたえがかえって来るためには わたしたちは わたしたちの汚れた手を きよめねばならない」(『ヒロシマというとき』三一書房、 1976年)と書いた栗原貞子によっても、すでにヒロシマが「戦争の被害者の聖地」でないことも知らされている。
そのヒロシマの、あの原爆にすら耐えた当時の日本銀行広島支店で私の『戦火
内容説明
米英軍によるイラクへの空爆が開始された2003年3月20日、ブッシュ大統領がフセイン大統領に突きつけた「48時間亡命期限」の切れたその時、豊田直巳はイラクへ入った。しかし「48時間」が切れる数時間前、すでに犠牲者は出ていた。これは、空爆にさらされつづけた市民を追った記録である。
目次
3月20日(木)「四八時間」
3月21日(金)イラク情報省
3月22日(土)「人間の盾」
3月23日(日)米兵のパラシュート降下?
3月24日(月)プレス・バス
3月25日(火)アーシクル(砂嵐)
3月26日(水)ガイガーカウンター
3月27日(木)無差別爆撃
3月28日(金)安息日
3月29日(土)公式ガイド〔ほか〕
著者等紹介
豊田直巳[トヨダナオミ]
フォトジャーナリスト。1956年、静岡県生まれ。1983年よりパレスチナ問題の取材を開始。92年より中東以外にもアジアやバルカン、アフリカなどの“紛争地”を巡り、そこに暮らす人々の日常を取材。雑誌、新聞、テレビにて作品を発表。日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)会員
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。