出版社内容情報
成田空港の暫定滑走路の使用が開始され、住人の頭上40メートルをジェット機が飛びかう。現状を訴えたい市民とそこに暮らす人々のメッセージ集。
まえがき 高木久仁子
成田空港の暫定滑走路の供用の中止を訴える運動のよびかけ
地図・東峰地区と暫定滑走路
成田空港問題・東峰 平行滑走路関係年表
国家に礼節は不用なのか 鎌田 慧
供用中止を訴えるメッセージ(50音順)
石原道知・正枝 空港の中に家が立っている
弥永健一 島村さんたちの隣人として
岩見千丈 強制がいかに高くつくかの教訓
上島聖好 土のやさしさ
上野 香 20年先を想像して
大野和興 歴史の歯車の逆回転のなかで
大沼淳一 この国にこれ以上の空港はいらない
小川ルミ子 一成田市民として
興野康也 難問を障害物としてではなく、智慧の泉とする生き方
尾瀬あきら 神様を追い出すサッカー
加藤タイ 畑に戻すことを願う
川浪寿見子 生命は結局、自然の懐の中でしか生きていけない
北川靖一郎 自らの意志を大切に
国富建治
国富泰子 民衆にとっての「もう1つの日本」
小圷一久 政策とは
坂本進一郎 現代の「秩父事件」
佐高 信 農民が生み出した言葉
佐藤由規 人間にとって一番大事なこと
澤地久枝 いのちを大切に
三里塚を支える会<空港公団の「反省」とは、
口先だけのものだったのか
新野祐子 ジェット機でなく鳥が飛び交う空を
西村直子 「成田空港の暫定滑走路供用開始に賛成しない!」
ことについて思ったこと
根本行雄 成田空港の暫定滑走路の供用開始に反対です
花崎皋平 新東京国際空港の新滑走路を使い始めるという決定の
撤回を求めます
林 廣治 限りない政府・空港公団のモラルハザード
筆宝康之 成田・暫定滑走路の「暫定」は、「臨時措置」を
意味しないのか
平田理沙 地球の姿に、涙を流さずにはいられない
藤井正道 一皮むけばこういうことか
藤川泰志 私たちの原風景
藤原 信 成田暫定滑走路供用の強行にあたり
蒔田直子 野菜のむこうに顔が見える
三上三千代 安全な野菜は一朝一夕にできることではありません
水原博子 暫定滑走路供用中止を訴える
宮森健次 見ればわかる!
虫賀宗博 成田空港の問題は「農業問題」である
茂住 衛 抹消されることのない風景と人々の存在は、
私自身を突き動かす
山口幸夫 隅谷調査団の責任を問う
山口雪子 三里塚の2本目の滑走路を動かしてはならない
山口泰子 島村昭治さ 赤い風の村
石崎 愛 三里塚で季節を感じて
小泉英政 ソバと親しむ
小泉英政 「小泉よね問題」の真の解決を求めて
島村良助 故・島村良助氏が語る「三里塚闘争について」
島村不二子 空港がある限り永遠に続く騒音
島村昭治 三里塚の土に生き続けるために
平野靖識 言っておくこと
○安全な野菜や食品を食卓に
国土交通省に申し入れ
大野和興 問題はないと推測している
石崎 愛 成田空港の暫定滑走路の使用中止に関する
要望書提出及び国土交通省交渉に立ち合って
暫定滑走路の実態
大原 隆 成田暫定滑走路運用の実態
鈴村多賀志 東峰騒音測定報告
An Appeal to Stop the Use of the Temporary Runway at Narita Airport
あとがき 山口幸夫
1999年春、成田空港の暫定滑走路を2002年のワールドカップ開催に間に合うように建設するという計画を知り私たちは、「成田空港の滑走路暫定案を白紙に戻すよう訴えます」というつぎの声明を出しました。
声明 成田空港の滑走路暫定案を白紙に戻すよう訴えます
運輸省は、さる5月に成田空港の平行滑走路について、現行案の2005メートルから2200メートルに短縮し、しかも北側にずらすという暫定案を発表しました。千葉県もこれを基本的に了解したことから、サッカーのワールドカップ開催の2002年完成を目指して急浮上したこの暫定案は、にわかに現実味を帯びてきました。そうすることで、反対派地権者の土地を滑走路からはずすことができ、政府と空港公団は、反対派農家を無視して、暗礁に乗り上げていた平行滑走路建設を強行できると判断したからです。
しかし、私たちはこのような政府のやり方に、大きな危惧を覚えます。ここに深い憂慮を表明すると共に、政府運輸省にこの暫定案を白紙に戻し、この間政府も認めた、「強制手段を用いたことを反省し地元で生活する人びとの意思を尊重することの上に立つ空港問題の解決」という原点に戻る舎、野菜の出荷場、漬け物工場などがあります。滑走路が完成すれば、着陸機はこれら多くの人の頭上40メートルという、文字どおり殺人的な近さを飛ぶことになり、住民や出荷場は移転せざるを得ず、農業を営むことも不可能になるでしょう。つまり、これは、予定地域からの強制的住民追い出し案に等しく、まるで30年も前の歴史がくり返されるのを見る思いです。
私たちが関心をもつ、第二の重要な点は、滑走路予定地のほとんどの畑は、基本的に長い間の有機農業によって、豊かに育てられてきたかけがえのない農地だということです。平行滑走路用地内で有機農業を営む石井紀子さんは、次のように訴えています。「うちの畑で言えば、20数年、農薬も化学肥料も一切使わず土中の微生物を増やすことを心掛けてきました。様々な有機物、良い働きをする多くの菌、虫や虫の糞、そういったものが構成する「有機土」によって初めて、いい有機野菜は作られるのです。……この土を手放してはもう有機農業はできないのです。……空港が大きな公共性を持つように、人の命と暮らしに係わる環境を守っていく有機農業も、同じ重さの公共性を持つのだと思います。」(「三里塚ワンパック野菜」の便りより)。ます。
くり返しますが、決して「地元」の問題にとどまらない、民主主義の根本や地球の未来にまで関連した、自分たちの問題として今回の成田空港の暫定滑走路案に私たちは重大な関心を持っています。そして、運輸省に対し、暫定案を白紙に戻し、地元で農業を営む人びとの声と思いを尊重することの上に立った空港問題の解決という原点に戻るよう要請します。
1999年8月
しかし政府は、これに何ら答えることなく、また地元農家の意向も全く無視したまま、今年2002年4月、暫定滑走路の供用を開始しました。暫定滑走路からは、農家の屋根をすれすれに飛行機が離発着します。周囲に軍事基地とも見まがう高いフェンスを張り巡らし、工事を一方的に強行し、文句があるなら出て行けというやり方はとうてい許されるものではありません。1999年の声明運動をよびかけた私のつれあい高木仁三郎は、2000年10月に癌でこの世を去りましたが、彼の志をひきついで、私たちは暫定滑走路の供用が開始された今、成田空港のあり方をこれでいいのかと問い続けていきたいと「成田空港の暫定滑走路の供用の中止を訴える運動のよびかけ」を行ってきました。よびかけは、グローバリゼーシ 私たちは、暫定滑走路の実態を訴えたいと、市民のメッセージを紹介し、また成田空港の高いフェンスのすぐ外側で日々暮らす人たちの生の声を伝えたいと1冊の本にまとめることにしました。
新東京国際空港(成田空港)は、1966年に閣議決定され建設がはじまって以来、いまだに完成してはいません。36年の歳月をかけて出来上がったのが暫定滑走路という成田空港の現実をひとりでも多くの人に知ってもらい、このささやかな本が成田空港の問題を考える手がかりになればと願っています。
2002年5月18日 高木久仁子
目次
供用中止を訴えるメッセージ(五十音順)
東峰の現実を目の当たりにして
東峰で暮らし、働く人びとのメッセージ
国土交通省への申し入れ
暫定滑走路の実態
An Appeal to Stop the Use of the Temporary Runway at Narita Airport
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