内容説明
ウェーバーは100年前、「禁欲」倫理から生まれ落ちた近代資本主義の最終段階に現れる「末人」をこう「預言」した。「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無にひとしい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう」―宗教倫理が資本主義を発展させるダイナミズムを描いた名著。
目次
第1章 問題提起(信仰と社会的な層の分化;資本主義の「精神」;ルターの天職の観念―研究の課題)
第2章 禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理(世俗内的な禁欲の宗教的な基礎;禁欲と資本主義の精神)
著者等紹介
ウェーバー,マックス[ウェーバー,マックス][Weber,Max]
1864~1920。一九世紀から二〇世紀初頭に活躍したドイツの社会科学者。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』や『儒教と道教』『古代ユダヤ教』を中核とする比較宗教社会学と、『支配の社会学』『社会学の基礎概念』『法社会学』など、死後、『経済と社会』としてまとめられた膨大な研究を残した。また、社会科学の方法論でも有名な『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』を書いている
中山元[ナカヤマゲン]
思想家・翻訳者。1946年生まれ。東京大学教養学部中退。インターネットの哲学サイト『ポリロゴス』を主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェルナーの日記
101
ルターやカルヴァンの宗教改革以前のキリスト教社会は、形式主義・教条主義が横行、概ね社会が停滞した。そこへ宗教改革が興り、ピューリタンやプロテスタントといった新キリスト教派が隆盛を誇る。そして従来の宗旨(主に聖書)の見直しが始まり、教義の解釈がバラエティに富んだものとなって、キリスト教にとって最重要とされる『予定説(詳しくは割愛する)』の解釈も変節し、紆余曲折しつつも、『精神の自由』が加わって、自由市場経済、つまり資本主義の発展へつながる。しかし『予定説』の変節は、『社会格差』を許容する社会となってしまう。2015/04/29
びす男
50
「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無にひとしい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう」。ウェーバーの名とともに、多くの学生に記憶されている著作だと言えよう。プロテスタンティズムから生まれた「禁欲主義」と「天職概念」が資本主義の成立に結びついた過程、そして資本主義が「勝利」を収めた現代ではそうした哲学がもはや使い捨てられてしまったことを、詳細な検証に基づいて明らかにしている。文句無しの大著であるが、なぜこの本が今日でも脚光を浴び続けるのか、考えて書評を書きたい。2015/02/24
磁石
22
祈れそして働け、行動的禁欲主義。かつて修道院の中で育まれてきた精神が、世俗へ/資本主義と合流し近代を作り上げた。その狂気とも言える冷徹な熱情が、完全無欠な戒律で固めたイスラム教世界を凌駕した。そして現代、世界中を席巻せしめた。……隣人愛に抵触しない限り、本来は神職の権能であった戒律を個々人で作ることが出来る、ソレを守り抜くことが救済につながる。2017/06/23
小木ハム
19
有名なプロ倫。独の社会学者マックスウェーバーが1905年に発表した論文。ルターが起こした宗教改革の後、プロテスタンティズムと資本主義、一見真逆の両者はどのように結びついたのか。それは日常的な禁欲、勤勉、節制、カルヴァン派が唱えた『予定説』の影響を強く説いている。曰く、神に救われるべく定められた人間は、禁欲的に天命(=天職)を務めて成功するだろう。自分こそ救済される選ばれた人間だ、という証を得るために禁欲的に職業に励むだろうと。注釈が大量にあって勢いが削がれるので一回目は読み飛ばしをお勧めします。2021/02/18
磁石
18
資本主義の精神と拝金主義は違う。金儲けを悪と断じて来た禁欲的な土壌からしか、それは生まれない。己の欲を満たしたいがためじゃない、そんな後ろめたさを感じずに倫理的な「正しい」行為として資本を集めまくる。仕事とは他人のために強制的に働かされることであって、キリストの教えである隣人愛を実践するための場として使える。どこもかしこも呪術だらけ/詐欺だらけ/無駄飯食らいの教会よりも、俗世の仕事の方が真の教えに準じているから。……中世の異端審問官や拷問官も、サドにならず清い信仰者でいられた。ソレと同じ精神なのだろう。2016/03/15
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