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対談 権藤博×松山千春(一番最初に交渉したのは巨人;1年目にして429回3分の1イニング。これはいったい何なわけ?;常に自分の持ってる一番いいものを出そう。それがあなたが教えてくれた戦い方;98年の横浜は1試合1試合、面白かったですよ;オレは今でも投げて潰れたとは思ってない;力のあるピッチャーは中4日にしてやらないと)
権藤博回顧録(アマチュア時代 稲尾フォーム養成練習;中日ドラゴンズ入団 権藤、権藤、雨、権藤;1961年中日全試合と権藤博全登板成績;2軍コーチを8年 教え過ぎてはいけない;近鉄、ダイエー、横浜でコーチ 伝説の10・19;望外の日本一 無理せず、急がず、はみ出さず;投手の本能 もっと投げたくはないか)
著者等紹介
権藤博[ゴンドウヒロシ]
1938(昭13)年12月2日生まれ。佐賀県出身。61年、ブリヂストンタイヤから中日入団。同年、35勝で最多勝、新人王などを獲得。翌62年も30勝で2年連続最多勝。右肩痛で野手転向、投手復帰を経て69年現役引退。中日、近鉄、ダイエーで投手コーチ。98年、横浜監督就任1年目でリーグ優勝と日本一に輝く。2012年に中日投手コーチとして現場復帰したが1年限りで退団。野球評論家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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シュラフ
24
投手生活5年間で82勝60敗という数字は立派ではあるのだが、とりたてて特筆すべき数字ではない。だが権藤博が伝説の大投手たるゆえんは、"権藤、権藤、雨、権藤"といわれたほどの連投につぐ連投の大活躍があったから。入団1年目の投球回数429回の35勝という数字は、中6日が一般化した日本プロ野球では今後ありえない。そういう時代だったということだろう。結局この肩の酷使がたたって短い投手生活に終わったのだが、本人は"太く短く"の投手生活に悔いはなし。"細く長く"ももちろん大切なのだが、一瞬の輝きというのも美しい。 2016/08/07
chanvesa
11
にわかベイスターズのファンになりつつある私だが、1998年の横浜ベイスターズの異常な強さは当時ファンでなくても鮮烈に脳裏に焼き付いている。あの時の強引な采配をしなかった権藤監督はかっこいいと思った。この方は合理主義者でありながら、勝負師なのだ。勝負師はある局面では非合理に賭ける。二人の新人ピッチャーに対し、一軍投手枠が一つ。球が速いがコントロールが難、球威はないがコントロールよし。「さて、どちらを選ぶか。正直、悩ましい。私はこんなとき、目を見て決める。眼光の鋭さだ。(150頁)」毎度去り際もかっこよし。2015/06/01
下町ロコモーティブ
7
*「権藤、権藤、雨、権藤」・・・、凄すぎる形容詞を貰った投手と松山千春との対談で始まる本人自身による著書。デビューの年に35勝、二年目に30勝をあげ、肩の故障の後に外野手として1967年には107試合に出場して62安打を打っていることは知らなかった。太く短く、だけでなく、横浜監督で日本一に輝き、その後、近鉄・中日でも投手コーチとして手腕を発揮した名選手の言う事は説得力抜群であった。2016/05/14
YS-56
1
まさに職人。また投手コーチをしているところを見てみたいものです。2014/10/23
樋口博昭
0
権藤さんは当番過多で、肩を壊したものだと思ってた。 だから、コーチ時代に投手を酷使しないようにしていたのだと思い込んでいたが、事実は少し違うらしい。 もう1回、現場復帰しないかなぁ。2016/01/08