内容説明
1948年8月、私はニューギニアの軍事法廷に立っていた。それから67年が流れた。いま再び日本は戦争ができる国になった。連合国の「戦争裁判」は何を裁いたのか?連合国の「戦争犯罪」はなぜ裁かれなかったのか?
目次
1章 世界は今―軍産複合体の下で
2章 わたしの罪状を問う起訴事実
3章 アメリカ軍の裏と表―正義と人道の名の下に
4章 わたしが体験したオランダ戦犯裁判―連合国の軍事裁判
5章 愛真高校生徒たちとの往復書簡
終章 沖縄県・伊江島での出会い
著者等紹介
飯田進[イイダススム]
1923(大正12)年、京都府に生まれる。1943(昭和18)年、海軍民政府・資源調査隊員としてニューギニアへ。1945(昭和20)年、日本の敗戦により、オランダ軍に戦犯容疑者として拘引される。のち20年の刑を受ける。1950(昭和25)年、スガモ・プリズンに送還される。現在、社会福祉法人青い鳥名誉顧問(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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しいたけ
92
戦犯として重労働20年の刑を受けた飯田氏が訴える、戦争裁判の理不尽と抑留中の非情にして残虐な暴力。読み進むことがつらかった。戦争はどちらの側から見ても同じ憤りを抱える。飯田氏は自身の罪を敵を討ったことに置かない。自分が「先に撃つな」と命令したばかりに撃たれて死んだニューギニア現地の巡警等、兵隊ではない人々の死にのみ有罪であると告白する。この本を映像化することがあるとしたら、私は絶対に観ない。読んだだけで、その残酷な重みに押しつぶされた。2019/08/17
ののまる
6
オランダ、イギリス、フランスの日本兵戦犯収容所での拷問、虐待が凄まじい。しかしそこに収容されていた日本兵は、本当に下っ端の兵士ばかり。スガモプリズンに収容されたのちも、堀の中で自分たちの加害性、日本という国の欺瞞、戦争へ駆り立てたシステムを深く深く思索しつづけ、沖縄県民を助け、日本の再軍備に反対した元兵士達。彼らの声は政治に反映されたのか。いま再び読もう、知ろう。2024/03/17
くらーく
1
戦争をするから敗軍の兵隊が戦犯になってしまうわけで。著書の言いたい事は分かるけど、だから今更どうしろと。。。と未だに70年以上前に起きた出来事でもめるのもなあ、と。2016/01/30