内容説明
信仰の“内か外か”を越えて―最大の宗教弾圧事件の記憶は戦後、いかに読み直され、何を生み出してきたのか。教団による平和運動を導くとともに、アカデミアにおける「民衆宗教」像の核ともなった「邪宗門」言説の現代史から、多様な主体が交差する新たな宗教文化の捉え方を提示。
目次
序章 大本弾圧事件の戦後
第1章 戦後大本と「いまを積み込んだ過去」―前進と捻じれの平和運動
第2章 “事件”をめぐる対話
第3章 宗教文化は誰のものか
第4章 “民衆”の原像―出口榮二と安丸良夫
第5章 “民衆宗教”の物語の起源―教祖をめぐる欲望の系譜学
第6章 反倫理的協働の可能性―高橋和巳『邪宗門』を読む
終章 批判的宗教文化への視角
著者等紹介
永岡崇[ナガオカタカシ]
1981年奈良県に生まれる。2004年大阪大学文学部人文学科卒業。2011年大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。南山宗教文化研究所研究員、日本学術振興会特別研究員などを経て、駒澤大学総合教育研究部講師、博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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sayan
23
休暇中に邪宗門(高橋)を読もうと思った。邪宗門は歴史的にはキリスト教を指す。ある論文で、遠藤周作と高橋和巳の作品から「母性」が日本の宗教の本質と論じる。そこで、本書のタイトルに興味をおぼえ読んでみようと。なお高橋は大本が作品のモデルであることを否定する。さて本書、分析方法が新鮮だった。大本70年史編纂作業を通じて評価を試みる教団幹部と外部学者の双方向の応答が非常に生々しく臨場感あり刺激的だ。それを花田清輝の贈与論「楕円幻想」を恐らく援用し、対立のまま統一、対立を装うが、結局相補的な関係にすぎない、と言う。2021/01/02
Go Extreme
1
大本弾圧事件の戦後 戦後大本といまを積み込んだ過去 人類愛善:世界連邦運動の展開 原水禁運動のはじまり 人類愛善運動とアジア主義 神さまの摂理としての事件 宗教文化は誰のものか 民衆宗教という表層 教祖の人間化 民衆の原像:出口榮二と安丸良夫 教祖をめぐる欲望の系語学 反倫理的協働の可能性:高橋和己・邪宗門 批判的宗教文化への視角 捻じれた連続性 戦後社会のなかの民衆宗教 2020/11/28