出版社内容情報
ローマ以来の古来の様々な公文書を渉猟して、海の領有権や経済的権利をめぐって海洋公海論を批判し、英国の海洋支配を正当化する。
内容説明
領海論、EEZ構想の先駆となる17世紀の議論。海を「公海」とする論を退け、様々な外交文書、ローマやビザンチン帝国時代の文書を渉猟し、自国による海の領有権を正当化した大著。
目次
この巻で述べられるべきことの順序。四つの部分に分割されたブリティッシュ洋
ブリテン島民たちは、まだローマの権力の下に降っていなかったとき、ブリティッシュ洋、わけても南方と東方のブリティッシュ洋を、ブリテン島とともに、支配者として占有したということ
ブリテン島民は、ローマ人に屈服する以前は北方の海の支配者であったこと。また、海と陸地とはただ一つのブリタニアの統一体をなしていたこと
ブリティッシュ洋“に対するローマ帝国”の支配権は、クラウディウスとドミティアヌスの両帝の時代に、グレートブリテン島そのものが“ローマ帝国に”征服された結果生じた
ドミティアヌス帝からコンスタンティウス・クロルス帝もしくはディオクレティアヌス帝までの時代の、ブリテン島の付属物としてのグリタニアの海域に関するローマ人の支配権について
コンスタンティヌス大帝の時代から、ローマ人がブリテン島に別れを告げたときに至るまでの、ブリタニアに関する命令権に随伴する南方と東方の海の支配権について。この支配権はその全体が、全英サクソン海岸伯の総督権の下にあったこと。“また、ローマ人の下でのブリタニア艦隊について。”
かの全英海岸伯がそこの伯爵だと言われたサクソン海岸とは、海のこちらのブリタニアの海岸のことだと主張する二、三の学者の意見が考察され、はっきりと論駁される
クラウディアヌス“の詩”から、またアントニヌス・ピウス帝の鋳造貨幣のうちの二、三のものから得られる、ブリテン島とブリティッシュ洋に対する同帝の不可分な命令権と支配権についての証跡
住民たちがローマ人の命令権から脱した後のブリタニアの海域の支配権について
ブリタニア南部の命令権を占有していたアングロ・サクソン人とデーン人の海上支配権が、サクソン王国の起源と、彼らの海軍および諸々の海戦の勝利から見てとられる〔ほか〕
著者等紹介
本田裕志[ホンダヒロシ]
龍谷大学文学部元教授。1956年東京都に生まれる。1987年京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。龍谷大学文学部助教授を経て、2007年より教授(2014年8月退職)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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