内容説明
継母の言いつけで吹雪の森に入った少女は森をさまよう。すると森の中で、焚き火を囲む十二の月の精たちに出会い…。
著者等紹介
マルシャーク,С.Я.[マルシャーク]
1887‐1964年。ソ連の詩人であり、児童文学者。1887年、ロシアのヴォローネジ生まれ。工場の技師であった父親とともに、町から町へと移り住みながら、小さな頃から詩を書きはじめた。ペテルブルグで、偶然に、有名な批評家ウラジミール・スターソフに詩を認められてから、ロシアのすぐれた文化遺産や、当時の有名な文化人たちと接するようになり、マクシム・ゴーリキーとも出会う。そして、病気がちであった彼は、ゴーリキーのヤルタの家に引きとられて、中学校へ通うことになった。しかし、その頃、保養地のヤルタでは革命運動の嵐が吹き、その後の厳しい検挙をのがれて大勢の人々が町をすてていた。結局、マルシャークもペテルブルグに戻って、誌や翻訳に力をそそぐ生活をはじめたのだが、その後、ロンドン大学に留学し、シェークスピアやイギリスの民話にふれて、大きな影響をうけた。1917年の革命後、「子どもの町」設立に参加して、子どもの劇、子どもの文学に関心を深め、たくさんの作品を書くとともにに、児童文学の批評や理論の分野でも活躍し、1964年に亡くなるまでソビエトの児童文学のなかで中心的な人物であった
エリョーミナ,Т.А.[エリョーミナ]
1912年生まれ。ロシア連邦の名誉芸術家。モスクワの造型芸術大学のアレクサンドル・ジョイニックに学ぶ。児童の絵本の画家として、マルシャーク、パウストフスキー、パルトーその他の挿絵を描いている。ソビエトや外国の多くの展覧会に参加
林光[ハヤシヒカル]
1931年、東京生まれ。1953年、東京芸術大学作曲科中退。『原爆小景』、劇音楽『森は生きている』、オペラ『セロ弾きのゴーシュ』など多くの作品がある
斎藤公子[サイトウキミコ]
1920年‐2009年。保育実践家。富山市生まれ。東京女子高等師範学校で、倉橋惣三の指導を受け、戸倉ハルより「リズム表現」を学ぶ。のちに「律動」を西垣都美に、「リトミック」を小林宗作に学び、独自の「リズムあそび」を生み出す。宮武辰夫から知的障害のある子どもの描画について教えを受けた。1956年、埼玉県深谷市に「さくら幼児園」開園。統合保育の映画の記録「さくらんぼ坊や」シリーズが製作され、1986年「アリサ ヒトから人間への記録」が文部省特選。斎藤公子の保育実践は“さくら・さくらんぼ保育”として全国に広がった。晩年オランダから来日した重度の脳性麻痺の子の保育にも尽力し、2003年には「第7回内藤寿七郎国際育児賞希望大賞・生命の尊厳賞」を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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