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内容説明
14、15、16歳の300名の少女たちは、そろいの鉢巻きを頭に巻いて軍都広島を、運転士として車掌として守りぬいた。が、8月6日、運命の爆弾が落ちた。たちまちにして学校はついえさった。一人の卒業生を出すこともなく、創立二年半にしてだ。童話?物語?小説?すべての人に送るメッセージ。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
へくとぱすかる
57
『チンチン電車と女学生』(2005年)の、元になる放送の4年前、すでに広電と元女学生に取材して本書は書かれている。児童文学のほうが先に、戦時中の女性電車運転士と家政女学校の存在にスポットを当てていた。戦争による窮乏の中でも、その日まで、人々はそれなりの日常を送っていた。これは『ヒロシマ 消えたかぞく』の写真からも感じたことで、奪われた生命の悲惨さは、日常生活との対比によって、より一層はっきりする。創作ではあるものの、証言を反映させて書かれているので、当時の世の中が生々しく感じられる。2021/05/26
かおりんご
44
小説。いろんな文献を元に書かれただけあって、とても心に響きました。一瞬にして多くの人の命を奪った原爆のことを、私たちは忘れてはいけないし、語り継いでいかなければならないと強く思いました。後書きで作者が書いているように、原爆当日よりも前からの日常に焦点が当たっているので、普通の生活を送っていた人たちから未来を奪ったというのが強く感じられてよかったです。2015/11/03
︎💓ひかる💓
2
エッ、ミミズって鳴くかぁ?私はスグに調べないといられないタイプだから調べるとミミズは鳴かない同じ土の中にいるケラと間違われているそうだ。あの八月六日から僅か三日後にチンチン電車が走っていたなんて信じられない。私の母はまだ小学生で島根まで疎開していたが「死の灰」を浴びたか見たらしい。チンチン電車(ひろでん)は小さな希望の光りだったのかもしれません。私のこの手の読み物は小学生の頃「はだしのゲン」から始まった。数知れず読みました、すべて涙でした。2023/05/20
福ちゃん
1
戦争というと原爆や空襲ばかりが思い浮かびますがそこには戦争中もそこで普通に暮らしている人がいることを改めて考えさせられました2019/04/17
菱沼
1
原爆投下から3日後には、広島市内にチンチン電車が走ったという。男たちが戦場へ行ってしまってから、この電車の運転士は14、5、6才の女学生たちだった。広島電鉄家政女学校に通う少女たちが、勉強しながらその仕事をしたのだ。児童文学作家那須正幹さんのお父さんは、この女学校の先生ではなかったかと思う。(以前、ラジオでそんなお話をされていたような……?)戦時中にでき、終戦と共に廃校となってひとりの卒業生も出さなかった、と本文にある。戦争の悲惨さだけでなく、伝えることはまだまだたくさんあると思った。2015/10/05