内容説明
毎日新聞記者として戦時下の女性労働の現場を、爆撃の危険の下で取材し、「よくぞ書いてくれた」と女子工員から喜ばれたこと、戦後、職場をレッドパージで追われたことなどを語る。
目次
1 ホスピスから(これからを生きる人へ)
2 記者魂、わが道を行く(速記を学ぶ;記者魂、わが道を行く)
3 出会い(平塚らいてう/らいてう先生と私;櫛田ふき/賛・稀有の長距離ランナー ほか)
4 足跡(女子工員の力は伸ばされてゐるか―現場からの痛切な「声」を聴く;働く婦人問題の解決へ―わが国最初の婦人政治記者 毎日(東京)政治部 鷲沼登美枝さんの抱負 ほか)
著者等紹介
小林登美枝[コバヤシトミエ]
1916年9月29日大阪市に生まれる。旧姓鷲沼。1929年茨城県立土浦高等女学校入学。1933年同校卒業。東京の佃速記塾入学。1935年同塾卒業。日本大学で速記者として五年間働く。1940年大阪時事新報社入社。1942年東京日日新聞に入社。1943年社会部記者となり活躍。1945年10月商工記者会設立。1946年3月婦人民主クラブ発起人となる。6月政治部の記者となる。11月組合活動を理由に編集局付とされる。東京都労働委員会に提訴。1947年10月毎日新聞社欧米部の小林勇と結婚。1948年5月全面勝利となり現職復帰となるが、『毎日グラフ』に移る。1950年レッドパージで毎日新聞社を解雇。1953年日本婦人団体連合会常任幹事。1956年居住地小金井の「憲法を学ぶ会」代表。1959~2000年『信濃毎日新聞』にコラム「女の机」を四二年間書く。1992年平塚らいてうを記念する会発起人となり、会結成により副会長。1999年平塚らいてうの記録映画をつくる会発起人、のち会長。2000年記念する会、NPO法人平塚らいてうの会となり副会長に就任。2001年平塚らいてうの会会長に就任。2004年1月11日死去
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。