内容説明
だれがプロ野球を潰すのか?人気復活のために知恵を集結させよ。
目次
第1章 攻撃的なプロ野球を取り戻そう(テレビ中継の映像は攻撃的視点のネット裏カメラに戻す;野球は点を取り合うスポーツ解説者の話は攻撃を中心に ほか)
第2章 球場にお客さんを呼ぶために(ドーム球場にこだわらず地方都市で公式戦を開催せよ;天然芝での野球を取り戻すために自治体が球場を買い上げて運営する ほか)
第3章 システムを変更し時代に合致させる(パ・リーグのレベルを上げるためにDH制と予告先発を撤廃する;1リーグ制などもってのほかチームを増やし16球団2リーグ制を ほか)
第4章 日本プロ野球機構の構造改革(球団やプロ野球機構は現場を知る人間を重用するべき;実権を一部オーナーから取り戻しコミッショナーは力を発揮せよ ほか)
第5章 野球への愛と喝!(野球愛が希薄になった日本復活させるためにはまず現場から;バットは一本も無駄にするな折ったら1本につき1000円の罰金 ほか)
著者等紹介
豊田泰光[トヨダヤスミツ]
昭和10年2月12日、茨城県生まれ。昭和28年に茨城県立水戸商業高校から西鉄ライオンズ入り。1年目からレギュラーポジション(遊撃手)を獲得し、打率.281、本塁打27本で新人王に輝く。昭和31年は打率.325で首位打者。西鉄はその年から昭和33年まで3年連続で日本一。特筆すべきはその3年間の日本シリーズにおいて、70打数30安打、打率.429、本塁打6本という大活躍を見せたこと。勝負強さは無比で、対戦を避けるピッチャーが多く、昭和34年には最多故意四球18個。その年から3年連続して最も四球が多い打者となっている。昭和38年国鉄スワローズ入り、昭和44年現役引退。実働17年で通算打率.277(1699安打)、263本塁打。ベストナイン6回(遊撃手)はパ・リーグ記録。昭和45年9月17日のゲーム最多犠飛3本は日本記録。昭和46年に近鉄の打撃コーチを務めたのち、球界の御意見番に転身。現在はフジテレビ、日本経済新聞、スポニチ、週刊ベースボールマガジンなどで活躍。社団法人『全国野球振興会』常務理事の要職にある
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