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内容説明
没後40年高島野十郎展公式図録。孤高の画家の新たな全貌。
目次
第1章 初期作品 理想に燃えて
第2章 滞欧期 心軽やかな異国体験
第3章 風景 旅する画家
第4章 静物 小さな宇宙
第5章 光と闇 太陽 月 蝋燭
著者等紹介
高島野十郎[タカシマヤジュウロウ]
明治23年(1890)、現在の福岡県久留米市の酒造業を営む資産家の家に生まれる。本名は高嶋彌壽。東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業するも、周囲の期待に反して画家の道へと進む。終生画壇と交わることなく、独学で絵を学び、一貫して独自の写実表現を追求した。晩年は千葉県柏市の郊外に自ら設計した質素なアトリエを建て、電気、ガス、水道のない環境で“晴耕雨描”の生活を送る。昭和50年(1975)死去。享年85歳。その存在は生前ほとんど知られることがなかったが、没後、福岡県立美術館をはじめとする各地の展覧会を機に評価が高まっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
やいっち
54
もしかしたら、誰かの皮肉な悪戯なのか。 盲目の彼女が蝋燭の焔の揺らめく光に浮かび上がる。まるで蝋燭の光に頼って生きているかのような演出を狙っているのだろうか。 蝋燭の蝋の臭い、それとも灯心の燃える臭い、それとも耳を澄まさないと聞えない芯の焼ける微かな音に蝋燭の存在に気付いているのか。いや、それとも蝋燭が燃えることで発生する熱の巻き起こす部屋の空気の微妙な変化の中に蝋燭の存在を感じないではいられないのかもしれない。
やどかり
29
飾らずありのままある感じがした。静物も風景も全てそんな印象を受けた。何度見返しても飽きない。いくつも描かれた蠟燭にはどんな意味があったんだろう。闇を描きたくて、月を描いた、月は闇を破る穴。絵を描くために見つめ続けていると、常人とは違う何かが見えてくるのかな。福岡出身の画家と知らなかった。没後40年の展覧会、福岡市では終わってたが、夏に戻ってくるみたい、絶対見に行こう。2016/04/26
かわうそ
18
今日、妻と展覧会を見に行った。最近の己を鑑み、いろいろと思うところがあった。自分にスッキリせず、夜は一人で焼鳥屋へ。飲んだところで何も変わらないが、帰路で明るい月と大きな星座を見た。高島野十郎はそういえば星を描いては無かったなと思い出す。甥や姪を可愛がっていたらしいが他人には天涯孤独と言っていたことを思うに、孤高の月、或いは一本の蝋燭は自分自身ではなかったのだろうか。己を見つめ、自然を見つめ、画業を全うした。彼の生き方、姿勢に憧れつつも、多くのことに気を取られ過ぎる己の不甲斐なさとだらしなさに落ち込んだ。2016/08/10
tetsubun1000mg
13
徳永圭子著「暗がりで本を読む」で紹介されていて気になって選ぶ。亡くなってから評価された画家だそうだが、東京帝国大学農学部を首席で卒業しながら絵画の道を選び、しかも師につかず独学で油絵を創作したらしい。全く知らない画家で絵を見るのも初めてだったが、その精緻さと寂しさや孤独を感じてしまった。作家の川上弘美さんは絵を始めて見た時3時間も眺めていたそうです。果物の静物画、月、ろうそくを描いた絵が目に焼き付いいて、脳裏を離れなくなっています。こんな人がいたことを知ることができていい機会だった。原画を見てみたいなあ。2021/04/24
ゴロチビ
3
足利市美術館の展覧会で購入。画集や評伝は持っているが、図録もやっぱり欲しくなって。いつか生で見たいと思っていたので、展覧会は大満足だつた。静物画のリアルさ、画面の静謐さもさりながら、圧巻は第五部の太陽、月、蝋燭の連作だった。全てが宗教画に見えた。蝋燭はイコンだと思った。太陽は大日如来、月は月光菩薩に見えた。図録にある女学校生とのエピソードが興味深い。高島野十郎の生涯がもし映画化されるようなことがあったら、必ず取り入れられるべきエピソードだと思った。2016/07/26
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