内容説明
道元は考える。坐禅は上手になってはいけない。慣れてはいけない。がむしゃらに、悟りたい一心ですることもいけない。体と心からりきみが脱け落ち、深々とした安らかな楽しみに遊ぶのが坐禅なのだ、と。
目次
1 インド仏教における坐(釈尊像の特質;釈尊の坐;坐禅の境界)
2 中国仏教における坐(静坐のすすめ;漢民族と坐;坐法の体系;禅宗の坐禅)
3 日本仏教における坐(諸師の坐像;只管打坐の坐)
道元は考える。坐禅は上手になってはいけない。慣れてはいけない。がむしゃらに、悟りたい一心ですることもいけない。体と心からりきみが脱け落ち、深々とした安らかな楽しみに遊ぶのが坐禅なのだ、と。
1 インド仏教における坐(釈尊像の特質;釈尊の坐;坐禅の境界)
2 中国仏教における坐(静坐のすすめ;漢民族と坐;坐法の体系;禅宗の坐禅)
3 日本仏教における坐(諸師の坐像;只管打坐の坐)