出版社内容情報
トロイ戦争の勝者であり、ギリシャの「英雄時代」を築いたミューケナイ、その滅亡の日々を描く。
ギリシャ神話の英雄がはたしえたものは何だったのか。
女性の視点で語られる「新・ギリシャ神話」シリーズの第1弾。
■中山千夏氏=これは、ていねいな歴史考証という土台の上に、戦争を体験した女の無念と、物語を愛する心とで構築された、もうひとつのギリシャ神話です。古代のなかから、「今」が鳴り響いてくるでしょう。
【書評再録】
●北海道新聞評=ギリシャ神話に現代の息吹を注ぎ込んでいる。
●ダカーポ評(1986年6月2日号)=新人がこれだけ見事な本を書くのは十年に一度あるかなしであろう。これは古代ギリシャについてのわれわれの通念をひっくり返すほどの力を持った著書である。ギリシャ悲劇に養われてきた英雄中心史観を覆すほどの力を持った本である。
【読者の声】
■女性=今までの日本人の書いた本にないスケールの大きさを感じる。そして日本人的センチメンタルな表現がないことがすばらしい。
■女性=まるでアリスが鏡の国に迷い込んだようにギリシャ神話の世界に入り込んでしまった。とてもすばらしい幻想の世界。
■男性=30年前、ギリシャ悲劇とギリシャ神話を読みふけったことがありますが、こんなにリアルな存在感を抱いたことはありませんでした。
■男性=きわめて煩瑣な史料の検証をふまえての流麗な表現・展開がすばらしい。
■女性=時と空間を越えて、すべての女性に共感を覚えさせるものでありましょう。
■男性=男性中心の社会の愚かさ、醜さに対する痛烈な批判は、そのまま現代社会に対する批判として読むことができると思った。
■女性=一気に息をつく暇もなく、面白さに魅かれて最後のページまで来てしまいました。夕飯の支度をしなければならないことを思い出して真っ暗な部屋の中に立ち上がりながら、私は、これこそ“女の一生”と呼ぶのにふさわしい物語ではないかと考えました。どうかこのご本が、あまりにも小ぢんまりと小さくまとまりすぎてしまった私たちの世界観に新しい風を、というより地震を引き起こしてくれますようにと祈っています。
【内容紹介】本書「あとがき」より
学生の頃、イーリアスやオデュッセイア、あるいはギリシャの古典劇のアガメムノンやエレクトラを読んで以来、私はいつも、これらの叙事詩や劇中の事件や人物を、それらの作者たちの視点と寸分違わない見方をしていたような気がする。西洋文学の根源ともいうべきこうした作品を私なりの視点で見るなど考えることすら出来なかったのだ。
その視点によれば、トロイ戦争の時代は英雄の時代であり、その戦士たちは英雄であり、彼らの戦場での勲しは、後世まで語り伝えられるべき栄誉であり、10年の遠征から帰って、一晩も故郷の城に休むことなく、妻に殺されたアガメムノンは悲劇の英雄で、妻のクリュタイムネーストラは厭うべき悪妻であった。
またトロイ戦争が終わって僅か80年の間に、ミューケナイが、同じ文化を共有する都市群とともに跡形も残さず地上から消えてしまったのも、たくさんの歴史の本に書いてある通り、北方からのドーリア人の侵攻のせいだと信じ切っていた。
そうした私の考えを180度変えてしまったのは、ギリシャで買った一冊の本である。著者はコンスタンティノス・コントルリス、題名は「ミューケナイ文化」。ガイドブックのような薄い小さな本であった。
コントルリスは、ミューケナイは異民族に亡ぼされたのではないという。ミューケナイ文化がそこで亡びたとわかっている遺跡、たとえばピュロス、ミューケナイ、グラ、イオルコス、ティリンスなどを発掘調査してみても、異民族の文化に属する出土品、とくに武器が出てこない。それはそこが他の民族によって攻撃されたことがないということを意味する。またそうした遺跡群は、トロイ戦争が終わって間もなく一様に大火に見舞われている。コントルリスはそれを内乱があったためと考えているようだ。やがて、どの都市も荒廃し、生きて行けなくなった人々は、イオニア、キプロス島、ロードス島、シシリー島などに移住していった。そうしてコントルリスはその崩壊の原因は10年に及ぶトロイ戦争にあると結論する。
ワナックス(王)をはじめ10万もの男が遠征に参加した。当時の人口から考えると、この数は貴族、市民、職人、農民、奴隷までも含めて、戦える限りの男を駆り出した数だったと思われる。そして10年間、この男たちは帰って来なかった。永遠に帰って来なかったものも多かった筈だ。黄金のミューケナイとホメロスが謳ったこの国の繁栄は優れた職人たちの優れた製品に依るところが大きかった。その職人もいなくなった。それに原料を運び、製品を輸出する筈の船が、10年間もダーダネルス海峡の浜辺に釘づけになっていたのだ。
そして、それぞれの城市には、女と子供、老人と病人だけが残され、毎日の生活が重い負担となって彼らにのしかかったのだ。
私はゆくりなくも、戦時中の日本の生活を思い出した。あの時も男性の労働力が極度に不足していた。高校上級生の少女が首にタオルをまき塩を舐め、溶鉱炉の前で働いた。妊婦が春早く田の代掻きをし、老婆が大八車を引いて、配給物資を運んだ。いつも大の男がする仕事がみんな女の肩にかかってきた。おまけにほとんどの船が、漁舟までも含めて、軍に徴用された。そのため食糧も輸入できず、漁師が近海で魚を取ることすらむずかしくなった。そして人々は飢えた。
同じようなことがこの英雄たちの国でおこったのではあるまいか。しかも私たちの経験したような生活がここでは10年も続いたのだ。英雄たちがかえって来た時、彼らを待ちうけていたのは何だったろう。荒れはてた田畑、衰えはてた産業、飢えた妻や子。---そして次第に人の心が変わっていった。支配者に対する尊敬、信頼、服従のかわりに、軽蔑、不信、反抗が生まれた筈だ。自分たち自身に対する自信や誇りも失われた。20世紀半ばに私たち日本人に起こったことと同じことがここに起こったのではないだろうか。悲劇はギリシャの方が深かったようだ。内乱がおこり、都市間の争いがおこり、荒廃した国土に、野盗や群盗が跳梁した。前途に絶望した人々は、国を捨てて、イオニアへ、キプロスへ、ロードスへ移住した。ミューケナイ文化の崩壊後、300年もつづいた暗黒時代はこのようにして起こったのではなかろうか。
一般民衆の支配者に対する反抗は伝承の中に伝わっていない。しかしそれを裏付けるような妻たちの反乱は伝説の中に確実に残っている。クレタ島のメーダー、ティリンスのアイギアレイア、ミューケナイのクリュタイムネーストラ。---男性の作家はこれらを単なる男女間の愛憎劇と片づけてしまう。でも女の私には、もっと根の深いもののような気がするのだ。10年も夫の留守を預かり、統治にたずさわってきた王の妻たちは、それなりに政治感覚も身につき、そのまわりに自分の側近の一団も築き上げただろう。そうした側近が、夫への政権の返還を望まないということも起こりえただろう。何よりも彼女たち自身が王としての夫や、夫の政策を、批判する見識を身に付けたのではなかろうか。そして夫の政策を否定した時、夫自身を否定するよりほか仕方がなくなるはずだ。
10年の愚かしい戦争が、完全に勝利した国をわずか80年で跡形もなく滅ぼした。その雪崩のような崩壊の中で生きた女たちに、私は戦時中の日本の女の姿を見るような気がするのだ。
【主要目次】
▲▲1.美神への捧げもの
▲▲2.父と子
▲▲3.たそがれのミューケナイ
▲▲4.星月夜
▲▲5.祭壇の小羊
▲▲6.悪いうわさ
▲▲7.相寄る魂
▲▲8.綯いあわされた運命
▲▲9.トロイ落城
▲▲10.故郷へ
▲▲11.勝利の果て
▲▲12.炎の中の光景
▲▲13.見透かしがたい未来
▲▲14.異邦人たち
▲▲15.再会
▲▲16.すっぱい葡萄酒
▲▲17.心に谺する叫び
▲▲18.昼の月
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