「良い子」があぶない―薬物中毒になった若者の生活と意見

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「良い子」があぶない―薬物中毒になった若者の生活と意見

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  • サイズ B6判/ページ数 174p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784806756255
  • NDC分類 368.8
  • Cコード C0036

出版社内容情報

【第11回アップジョン医学記事特別賞受賞作品】
女子少年院、薬物依存症者リハビリ施設などを、足かけ四年にわたって密着取材。
中流の家庭に育ち、学校では「優等生」といわれるような若者たちの間に広まっている薬物依存の実態を、彼らの心のひだにまで光をあてて描き出す。

【書評再録】
●読書人評(1994年7月29日)=若者たちの依存症に至った過程や、そこから脱皮しようと苦闘する姿が、淡々と平易にかつ見事にとらえられている。同時に若者たちの迷いや問いかけに対応できない現代の家族や社会の病理が提示されている。苦悩する若者たち、そして同様に戸惑い迷う親への味わい深い指針となっている。
●日刊ゲンダイ評(1994年7月18日)=まじめな人間たちが、アルコール依存や薬物依存に至るプロセスを、彼らの心のひだにまで光をあてて描いている。
●教育医事新聞評(1994年11月25日)=シンナーも覚醒剤も、ましてヤク中=薬物依存症なんて自分とは関係ない--。何の根拠もないそうした思い込みを粉々に打ち砕く。取材は一貫して患者の心に焦点を当てている。人ごとではなく、誰の傍らにも巨大なブラックホールが口を開けているのだ。

【内容紹介1】本書はじめに」より
 薬物依存---この言葉は、よく「薬物乱用」と混同して使用されるし、取り違えられがちだ。しかし一般に、薬物乱用とは「社会常識から逸脱した目的や方法で薬物を使用すること」。つまり、その人間が所属する社会や文化がそれを許容するかどうかに、「乱用」の基準が置かれている。ところが「薬物依存」では「薬物の使用を自らコントロールすることができず、好ましくない結果にもかかわらずそれを継続的に使用する認知的、行動的、身体的症状の一群」となる。ここで重要なことは、依存とは、外側からの概念が影響する「社会」が基準になるのではなく、純粋に医学的な概念であること。ここが「依存症」と、病気の症状を示す言葉でいわれるゆえんでもある。
 しかし、現実にこんな違いを知ったのは、ずいぶん後のこと。長い間、薬物乱用と薬物依存とをほとんどごっちゃにして、区別がつかずに混乱していた。どんな違いがあるにしたって、そもそも、日本で薬物がそんなに大量に手に入るはずないじゃないか---。それでも、その人のため息とも独り言ともつかぬ言葉を聞いたことが、小さな澱のようにわたしの心の中に沈んでいた。
 そんな中で足を運んだいくつかの「薬物依存症者リハビリ施設」で出会った人たちが、わたしの認識を大きく変えたといっていいだろう。クスリといわれるものがいかに簡単に手に入るか。そしてそれを使う人間がいかに律義で懸命で、どこか不器用か。それにハラハラしながらどう手を貸していいかわからない周辺の人間たちは、まったく普通の人ではないか。定かでない私の記憶の中にあった「自分勝手にそうなった薬物中毒者たち」の像が、音を立てて崩れていく。薬物を使うのはある種の落ちこぼれ---という明快な「社会通念」に、ちょっと疑問が灯ってきた。
 日本にこの種類のリハビリ施設ができたのがちょうど、バブル経済といわれたころ。あのころ、日本人の多くが成長神話を信じ、まだもうかると思い込み、株や土地を買いに走った。その結果、残ったのは、価値のない架空資産と伝統を持たない贅沢の習慣。そして、堅実に働くことのばからしさを見た子どもたちではなかっただろうか。
 薬物依存症の人たちの話は、そんな日本のここ数年の道筋、戦後の日本のありようが、ぽつんぽつんとちりばめられている。私が知らなかった世界、誰もが「自分たちとは関係のない世界」と信じる場所から、実は違うものを見ていたのだということを、知らされることになった。
 薬物依存は落ちこぼれか---経済大国は幸せなのか、という疑問の裏側にこの問いかけがある気がして、十代の若者を中心に話を聞いたのがこの取材の始まりとなった。新聞紙上で連載を始め、補足の取材をしてからも二年がたつ。その答えはまだわからない。「依存症」と病気としてとらえたとしても、それで不法行為が帳消しになるわけではもちろんない。しかし、なぜこんなに薬物が「身近」になったのか。いつの間にこれほど「市民権」を得るまでに広まったのだろうか。ここには「意志が弱いから」ではすまない何かがある。私たちの知らないところで何かが進んでいる。そんな気がして薬のことを調べてきた。薬の中味ではなく、薬の向こうにある薬物に魅せられた人間の心のひだを。そこから、人間の心の中に隠れ、震えている小さな「子どもたち」が見つかるかもしれないから。

【内容紹介2】本書第1章「依存症の子どもたち」より抜粋
 和也は19歳。彼の両手首には鋭利な刃物で切ったような大きな傷痕が残り、初めて見る人はだれしも一瞬、目をそむけてしまう。しかし和也自身はこの傷がどうしてできたのか思い出そうとしても思い出せない。半覚醒状態の中で自暴自棄になり、自ら傷つけたものなのだと知ったのは、ずっと後のことだ。
 彼のここでの名前は「62」。それは和也にとって、忘れられない、そして自慢でもある偏差値のことだという。和也が中学に入ったときの最初の中間テストの試験結果が偏差値62。クラスで五番。和也は「その点数がねたみをかったんやと思う。とにかくそれから、ぼくの名前は62になった」。
 偏差値62なら、どんな高校にも無理なく入学できたはずだ。大学も普通なら安心して考えられるだろう。親にとってはこのうえなく安心な子どもだったはずだ。
「勉強で落ちこぼれたことなんかないですよ。ぼく体格もいいですしね」。
 和也の身長は175センチ。さわやか、という言葉が当てはまる、笑顔の似合う青年だ。容姿でコンプレックスを持つとは思えない。成績だの容姿だのといった表面的なことがコンプレックスになり、薬にひかれるのではないか---そんな一般論が、すでに彼には当てはまらない。
「つまずきは月曜日。月曜に学校に行けなくなったんです」
……(中略)……
「そんな中学二年の時なんです、シンナーを友達にすすめられたのが。その友達? いや、不良じゃなかった。ぼくの周りに不良なんかいなかった」
「それでも学校には行ってたんだけど」。
 成績はまだ優秀なほうなので、高校入試はなんなく過ごし、両親の希望の高校に入学した。学校ではまた、「優秀な生徒」の一人。しかし日常では工事現場には入り込むことと、ニセの書類を作っては遠くの塗料店をめぐってやっとシンナーを手に入れる工夫に翻弄される。高校生としての自分と、人には知られたくないマイナスの部分が広がりすぎる不安。そんな精神の乱れもあってさらに薬を手に入れようとする悪循環が続いたという。
 ところが、そこでやめられればその後の和也の人生も変わったはずだった。が……

【主要目次】
▲▲第1章・依存症の子どもたち
   「62」のメンツ
   有名になりたい
   「落ちこぼれ」って何?
   離れられない親子
   ポケットの小銭
   母という女性
   「父親」という職業
▲▲第2章・家族がどうかかわるか
▲▲第3章・薬物依存の現実と治療の試み
   日本の現状
   治療--その現実
   民間治療機関・ダルク
   内観法
   精神医療の面から
   日本の家族たち

内容説明

女子少年院、薬物依存症者リハビリ施設などを、足掛け四年にわたって密着取材。新聞連載中から、大きな反響を呼ぶ。私たちのまわりに普通にいる、まじめなひとたちの、薬物依存にいたるプロセスを、彼らの心のひだにまで光をあてて描いて、第十一回アップジョン医学記事賞特別賞を受賞。

目次

1 依存症の子どもたち(「62」のメンツ;有名になりたい;「落ちこぼれ」って何?;離れられない親子;ポケットの小銭;母という女性;「父親」という職業)
2 家族がどうかかわるか
3 薬物依存の現実と治療の試み(日本の現状;治療―その現実;民間治療機関・ダルク;内観法;精神医療の面から;日本の家族たち)

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