出版社内容情報
ホームレスが警告する社会・家庭のゆがみ。
人はなぜ、路上生活へとさまよいでるのか。
外資系企業の管理職、出向させられた技術部長、元タクシー運転手、単身赴任者、出稼ぎ労働者……
都庁の労働相談担当として、実際に出会った人たちが、家族を捨ててホームレスへと転落していく経緯とその心情を追う。
【書評再録】
●朝日新聞「天声人語」(1994年2月21日)=労働相談の窓口にきた大手企業の管理職や出稼ぎの人が路上生活を送るに至った軌跡を記した本。
●共同通信全国配信記事(1994年3月21日)=興味本意に流れることなく、その実像と彼らを追い詰める社会的背景を明らかにしていく。
●時事通信全国配信記事(1994年3月12日)=彼らを見る著者の目は常に優しい。行政の現場としての歯がゆさも伝わってくる。彼らは人生の落後者というよりは社会への警鐘だという指摘もうなずける。
●週刊現代評(1994年4月2日号)=出来は水準以上。このリアルさ、一人一人の心情の痛切さは、通常の取材からは決して得られないものだ。“あなたもホームレスになりうる”という身近さに誰しもが戦慄を覚えるに違いない。これからの日本に提起するものは多大である。
●週刊文春評(1994年5月26日号)=単にホームレスの行動や生活の描写にとどまらず、内面の世界にまで踏み込み彼らの心情を代弁しようとしている。
●読書人評(1994年4月15日号)=紹介される人間はみんな、私たち自身の姿。今の私たちの生活の底の底で何が続いているのか、そしてどこへ行こうとしているのか、じっくりと考えさせてくれる本である。
【内容紹介】本書「あとがき」より
彼らはなぜ、路上生活をはじめるのだろうか。こんな疑問がおぼろげではあるが、解けてきたような気がする。
彼らの多くは、経済的貧困だけを理由に路上生活をはじめたわけではない。もちろん、経済的事情も大きな要因とはなっているであろうが、決定的なことは、人間関係を失ったことによって路上に出てきているということだ。
自分が路上生活をはじめると仮定して考えてみればいい。経済的に困ったからということですぐさま路上生活をはじめることはないだろう。とりあえずは、周りの誰かに助けてもらえばいいのだし、場合によっては借金してもいい。だが、問題はこの支えてくれる家族や友人を失い、借金をするための信用を失ってしまったときである。周囲の誰からの支えも期待できなくなった時は、もはや選択の余地はない。あなたは、路上で生活をはじめるしかなくなってしまうのだ。
逆に、なんらかの理由で家族との信頼関係を失い、友人との友情関係が崩壊した時、つまり人間関係を失ってしまった時には、必ずしも経済的な事情をかかえていなくとも、ただちに路上生活をはじめるための十分な条件となる。
だから、経済的にある程度めぐまれたホームレスがいても、決して驚くに値しないし、「お金があるのに、何もこんな生活をしなくとも……」と考えるのは、見当違いであることも知っておいたほうがいい。人間関係に絶望したり興味を失った人が、家というスタイルをつづけていくのか、それとも路上を選ぶのかは、まさにその人の価値観による選択なのだから。
なぜ今、ホームレスが増加するのか。
「バブルがはじけて不況となったから増加するのだ」という答だけでは、多分不十分だ。もちろん、働く場所を失い、生活をしていけなくなった人たちが増加すれば、それだけ路上生活者予備軍が増えてくるのは間違いない。しかし、気になるのはバブル時代が産み落した「人間関係の貧困化」のほうである。
バブル経済という高度経済成長の徒花のあとにつづいた平成不況は、そのブレーキがあまりにも急激でショックが大きかったので、いろいろな矛盾を露呈させはじめている。こんな中でも、政界を揺るがしているゼネコン汚職などは、この時代に人の心がいかにカネに狂わされていたのかをこれでもかこれでもかとばかりに見せつけているようだ。そして、こうしたカネとモノに支配された心の歪みは、庶民といわれる私たちの生活の中にもさまざまな病弊を生み出してきた。
すべての価値がカネとモノに収斂していった時代が残したものは、“心の喪失”という寒々とした風景だったような気がしてならない。その結果は家庭や家族が崩壊し、結婚が問われはじめて、夫婦関係があらためて問い直されることになった。こうした自明の理とされてきた基礎的な単位での集団の価値までが問題にされなければならない時代がやってきたのである。
高度経済成長の神話の中で、すべての集団が利益を求める集団と化し、その本来の機能を見失ってしまったからである。夫婦や家族も例外ではなかったはずだ。子供の教育や、マイホームを自己目的化してしまった家庭生活、そしてその経済的支えを一身に背負わされることになってしまった企業戦士たち、こんな歪みを抱えて走りつづけてきたツケが今、まわってきたのである。
家庭と学校、そして企業という集団にのみ傾いた日本社会のいびつな集団化現象は、現代の人間関係の崩壊を準備してきた大きな要因でもある。地域に共同体を持たず、企業を超えた連帯が育たなかった社会、無制限な競争を容認することでコミュニティの崩壊を進めてきた反省が今、必要な気がする。
コミュニティの崩壊が進んだアメリカがそうであるように、こうした社会が今後も大量のホームレスを生み出さないという保証はどこにもない。その意味では、まさに“ホームレスの時代”がやってきたという言い方もできそうである。
【主要目次】
▲▲第1章・見えなくなる人たち
管理職が消えた
安息の場を求めて
▲▲第2章・路上生活入門
ある賃金不払い事件
住所がないということ
路上で死を迎える
▲▲第3章・理不尽な日々を生きて
無言の復讐
運が悪かった
▲▲第4章・現代社会のカナリアたち
失踪宣言
不安の中を生きる
内容説明
社会現象としてよりも、ふつうのサラリーマンからホームレスになってゆく人たちひとりひとりの心情をさぐりながら浮き彫りにする、東京ホームレスの生活と意見。
目次
見えなくなる人たち
路上生活入門
理不尽な日々を生きて
現代社会のカナリアたち
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