出版社内容情報
戦後日本の一断面を見事に切り取った、リアリズム写真の名著。
1959年暮れの筑豊炭田の厳しい現実を、こどもたちの動作や表情を中心に映像化した。
戦後写真界の巨人・土門拳の原点ともいうべき作品。
【書評再録】
●山陽新聞評=圧倒されて、しばしことばを失った。ここには自分たちを切り捨て、犠牲にしようとする者の前に、幼いまま、素手で立たされ、さらされて、じっとそれを見つめ、向かい合う子供たちの姿があるからである。
●朝日カメラ評=貧しさの中で、聖女のように写し出された少女たちの像は、中でも、圧巻のシークエンスであり、そういう視点の決め方の中に土門拳という人間の全体性があぶり出されている。平和と民主主義を旗印とした戦後ある時期の報道写真の典型がここにはある。
●読書人評=土門写真の原点示す。
●出版ニュース評=ドキュメンタリー写真というものの生命力を思わずにはいられない。
●夕刊フジ評=残酷な現実を受けとめている、いたいけな表情が胸を打つ。
【読者の声】
■女性=筑豊炭田の厳しい現実とお姉ちゃんの美しさが重なり合うことで、生とは何か考えさせられました。
■男性=有名な少女の写真ではなく、失業した父が幼い息子と手をつないでいる写真に土門拳の確かなカメラアイがあると思います。一番、心を打たれた写真です。
■女性(51歳)=土門氏の作品がきっかけで、彼のことを知るようになり、生き方などで、真剣な姿勢を感じ、これからの自分の生きていく姿勢を考えることができた。自分のバイブルとなる本と思う。
【内容紹介】本書「日本汚染列島と重なりあう日本の黒い山 野間宏」より
1973年秋に日本をおそった石油危機によって、日本経済はその高度成長期の終末を迎えることとなる。石炭産業を犠牲にした重油、石油、原子力その他のエネルギー源による日本の大重工業は、もはや、その高度成長を支える一切の条件を失っている。石炭産業を犠牲にした大重工業政策は、水俣病を生み、大気汚染をすすめ、瀬戸内海を死の海にし、日本を汚染列島にしたのである。筑豊の一切を奪い取ったものがこれである。
土門拳のカメラは、その筑豊のただなかにはいり、その一切を収めている。私は、1960年に出された、この『土門拳写真集 筑豊のこどもたち』のまえがきのなかに、次のように書いた。
「親の代から炭鉱に入り、炭鉱に生きてきた人たちは、自分の働く場所であり生きる場所でもあるこの炭鉱を奪われて、疲労した身体のまま放り出されたのである。失業した炭鉱労働者の数は福岡県だけを見ても5万人をこえる。私は昭和27、28年の不況の後に遠賀川流域の中小炭鉱、三池炭鉱を訪ね、多くの人たちと語り合ったが、その時期における、閉山された炭鉱状況も私が考えることのできなかったほどのものだった。私を圧倒した印象は、何よりも、やせはてて内から伸びる力を失い、皮膚が肉をはなれて存在するかと見えるような、子供たちの印象だったが、子供たちの父親は絶望にとりつかれて子供と妻や母親をすててどこかへ姿を消していたのである。このような子供を取り巻いているきびしい現実は土門拳のカメラによってとらえられ、私たちを先ずその現実そのもののなかに導いて行く。子供の笑い、遊び、勉強、けんか、など、子供たちのすぐ足下にひらいている大きな黒い穴がいまの炭鉱である。」
この子供たちは、いま、はたして、何処で、いかに各自の生を確保しているだろうか。もちろん余りにも苦い数々の障害がその身をとらえつづけたにちがいない。しかしいま、ここでこの子供たちのその後を追うことはできない。私は、高度成長政策の最初の犠牲となった人たちをとらえた土門拳のこの写真集がここに再び刊行されることに、大きな意味を見出す。日本列島をおおいつくしている汚染は、このような冷酷きわまりないローラーの進行とともにもたらされたのである。この「筑豊のこどもたち」の一枚一枚に、日本の、さらに世界の多くの眼がそそがれることを、私は求める。そして私はそこに日本列島の汚染と、重なり合わせて、見なければならないものがあると言うのである。土門拳が多くの危険を犯して撮ってくれておいたこの写真集の在るがために、私たちには、そのことが可能なのである。
【内容紹介】本書「撮影寸描……北沢勉」より
1959年師走、卒業を控え、私は60年安保前の騒然とした中で、日々デモに明け暮れていた。「お前が行くのだ」の一声で、特急あさかぜの切符を求めに東京駅へ走った。一夜明けると遠賀川べりの炭田地帯を歩いていた。屋根と柱だけで寒風の吹きすさぶ中に人々はふるえながら寄り添って生きていた。
テーマを「こどもたち」に絞ったのは、いつのことだかわからない。恐らく、るみえちゃん、さゆりちゃん姉妹との行合が原因の一つになったのだろう。二人との行合は、この広大な炭田地帯で不思議なぐらい全くの自然であり、偶然であった。誰からも情報を得たわけでもなく、予備知識を受けたのでもなく、従ってコンテキストがあったわけでもない。いつの間にか彼女達の前に土門拳が立っていた。パッタリ行合い、ふわっと対面していた。無言で心の交流が始まった。何かお互いの気分が通じ合うように、そしてずうっと以前から知り合いであったかのように。
対象のリアリティを曲げずに侵さずに、それの持つ限りない深意を理解し抽出し、そして絶対非演出をスローガンにして撮り続けてきた名匠と、エネルギー政策の中で本当の生きざまそのものを開示している彼女達と……出会いだの、ふれあいだのという甘いものではなく、写す側と写される側との、能動者と受動者との冷たい対立---分別の関係でもない。むしろそれは写される側からのきびしい語りかけであったはずだ。土門拳の肉体と姉妹の肉体との融合一体が始まっていた。撮影という行為によって、何かがそこに生まれているのである。真の交流、交換によるクリエイティビティだろうか? 手にするライカM3はみごとに消えてしまっていた。
18年が過ぎたが、この場面に立ち合って、リアリズムの不思議な神秘にいまだにふるえる。失対人夫から栃錦と見間違えられた頑丈な身体を三等寝台中段に苦しくしていた我が師も長い闘病生活で今は見る影もない。「こどもたち」もみな大きくなったのだろう。幼少期、為政者から受けたこの境遇、決して忘れないはずだ。また忘れてもらいたくない。大人たちの作った社会の矛盾にめげず少しでも建設的な心を大切にがんばって生きてもらいたい。
感想・レビュー
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