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出版社内容情報
体外受精など最先端の生殖医療によって子どもを授かった人たちが抱えた悩み……
出生前診断が提起する胎児の人権……
フランスの「生命倫理法」制定に中心的役割を果たした遺伝病専門医が、最先端の生殖医療技術とその問題点を、実在の夫婦の物語をとおして具体的に描き出す。
【書評再録】
●毎日新聞評=フランスの「生命倫理法」制定において中心的な役割を果たした著者が、体外受精・卵子の提供・他人の子宮での妊娠・62歳の出産・出生前診断など、最先端の生殖医療の実態と、それにまつわる様々な問題点を短編小説ふうにまとめたものである。いずれも著者が診療を通じて出会った実在の夫婦の物語であるだけに具体的でわかりやすい。
●時事通信全国配信記事(陸奥新報ほか)評(1995年12月18日~)=心を揺さぶる人間ドラマ。密室化しがちなわが国の医療現場を考え、社会的な議論を重ねるためにぜひ読んでほしい本だ。
●AERA評(1996年1月15日号)=体外受精や出生前診断などの医療が、いかに人間性や人類の未来を揺さぶる問題かを訴えている。
●科学朝日評(1996年2月号)=登場する人々の苦悩は、先端医療を技術的に語った時の落とし穴を見せつける。法律、ガイドラインや社会的合意などを作る時に見落とされがちな、「愛情」や「時間がたって人の気持ちが変わること」や「子どもの視点」について、静かに思いをめぐらせる気持ちにさせる本だ。
●医療評(1996年1月号)=人間の「生」の意味を問いかけたもの。科学技術と倫理の接点はどこにあるのかを考えさせられる。
●教育新聞評(1996年12月21日)=「生命」「夫婦」「子供」とは何かを根底から問いかけている一方で、親がいない子供、戦地で兵士にさせられる子供などの現実も合わせて、養子制度にも言及している。先端技術の進展は、良心を置き去りにしてしまう場合があることも忘れてはならない。
【内容紹介】本書「訳者あとがき」より
子どもを持つとはどういうことなのか。はじまりに立ち返ってそう問えば、自ずと、カップルとは何か、という問題にぶつかる。一組の男女が子どもを持つというのは、何かを伝えようとする行為であるだろう。だが、何を子どもに伝えようとするのか、伝えるということは何なのか。それはまた、愛するとは何か、を問うことでもある。
人は、ひとりでは子どもが産めない。どんなに技術が進もうと、新しい命の創造には自分以外の他者が必要だ。男がいて、女がいて、はじめて子どもが生まれる。それは、ひとりの人間という個体にいつか死が訪れるのと同じような意味での、私たちの存在に課せられたひとつの「制約」である。こうした「制約」や、不妊症をはじめとする多様な「障害」を取り除くことに夢中になるあまり、私たちは他者をも見失うことになってしまったのではないだろうか。
ここに描かれたごくふつうの人たちの姿を通して、ジャン=フランソワ・マテイは、最先端医療技術の現状が、いかに私たちの深いところを揺さぶる問題であるかを明らかにしてゆく。この本に登場する人物たちはどれも、著者が、診療を通じて出会った実在の人たちの姿である。だからこそ、これほどの説得力があるのだろう。著者自身、遺伝学にとことん魅せられ、最新の遺伝学の発達とともに歩んできた人物であり、遺伝学の裏も表も知り尽くし、長年、そこにかかわる生身の人間の苦悩に直に接してきた。彼自身の抱える苦悩も衒うことなく行間に描き込まれている。それが本書に、矛盾を含みながらも深い人間性を感じさせずにはおかない幅と厚みを与えている。
最近、日本でも、遺伝子治療や体外受精、海外における代理母出産などのニュースをよく耳にするようになった。しかし、私たちの元に届くそうした情報は非常に断片的で、命のはじまりにかかわる問題の全体像は、なかなか見えてこない。報道されたとしても、技術のもつ危険性や、背後にいる人間の肉体的苦痛、心理的葛藤が語られることはほとんどない。また、人工生殖や遺伝子治療が、社会的、歴史的にどれほど大きな波紋を投げかける問題であるかということも、まだ本当には理解されていないように思われる。
臓器移植や脳死をめぐる議論と同様、人工生殖をめぐる医療と倫理の問題は、非常に個人的な問題でありながら、個人の領域を突き抜けて、社会、ひいては人類全体の将来を問う、おそらく21世紀にとって決定的な問題であるだろう。
命の始まりは誰にも定義できない。
フランスの「生命倫理法」でも、その辺りはあえて曖昧にしている。だが、私の質問に答えて、マテイはこう定義した。受胎した瞬間からそれは紛れもなく人間の命だ。まだ人ではないが、人になる可能性、人になる企てをもった命の始まりである、と。
そうした命をどうとらえるか。また、子どもを産む、または育てるということを、個人が、社会がどうとらえるのか。
たとえどんなに望んで、どんなに高度な知識と技術を駆使して「完璧」な子どもの親となれたとしても、それで一生、理想の幸福が保証されるわけでは決してない。完璧な子どもも、いつ事故や病気で、障害をもつことになるとも限らないのだから。生きるということは、そうした不当さや矛盾の連なりでしかない。完璧な子どもを持ちたいという欲望が膨らめば膨らむほど、私たちの人生の幅は、広がるどころか狭くなり、社会はより貧しいものとなるだろう。
日本もまた、人工生殖大国となる可能性がある以上、最終章で触れられているレバノンの人たち同様、今から討議の場を設け、考えを深めておく必要があるだろう。おそらく、本書の登場人物に自分の姿を重ねる人たちは、日本にも数多く存在するはずだが、そうした人びとの迷いや不安や苦悩に社会が寄り添い、その声を社会自体のあり方に反映させるというところまではまだまだいっていない。この本が、なお蓋をされたままのそうした本質的な問題の奥行き--特に、その人間的側面--の理解の一助になるとしたら、訳者としてそれ以上の幸せはないだろう。
【主要目次】
▲▲第1部・遺伝学革命
テモテ神話
▲▲第2部・人工生殖
マリ=ポールの選択
どうして私たちはだめなの?
時間の問題
跡取り
袋小路
▲▲第3部・出生前診断
両腕の先のいのち
絶望の愛
けたはずれ
天才胎児
子どもの処方箋
▲▲第4部・問題の子ども
私にパパとママの絵を描いて
忘れられた子ども
いのちの木
内容説明
人工生殖大国フランスを代表する遺伝病専門医が、自らの臨床経験に基づいて不妊治療、出生前診断技術の飛躍的進歩と問題点を説き明かす。
目次
第1部 遺伝子学革命
第2部 人工生殖
第3部 出生前診断
第4部 問題の子ども