内容説明
スプルースはさらにマラリアの特効薬キニーネを生産するアカキナノキの種苗をあつめて東洋の熱帯地方に送り、異国の地におけるプランテーションの開設にもつくした。1864年帰国。本書はこの15年間に書き残された日記、書簡、覚書のたぐいが、その没後、アマゾン以来深い親交のあったウォレスによって編纂され、1908年にロンドンで出版された愛と追憶の古典である。植物採集探検の記録だけではなく、異国の地で書かれた、「アマゾンの岩絵」「インカの秘宝」「アマゾンの女戦士」などの小品も収録。巻末には上下巻あわせた詳細な索引も併載。
目次
ソリモンエス川遡行二四〇〇キロメートルの旅―バーラからペルーのタラポトまで
ペルー領東アンデス探検、あわせてタラポト滞在
タラポトからカネロスまでの小船によるボンボナサ川遡行の旅
カネロスの森を抜けてバニョスへ
エクアドル領アンデスの植物採集調査旅行と登攀
アンバトとアラウシのキナ樹の森
チンボラソ山西側斜面のエル・リモンのキナ樹の森
太平洋の海岸地方―スプルースの南アメリカ滞在最後の三年間
アマゾンの植生と動物の渡り
植物の構造を変化させる蟻
アマゾンのインディオが使っている土産の向精神薬と興奮剤
アマゾン河の女戦士とその歴史的考察
リオ・ネグロ川とカシキアーレ水道で見られるインディオの岩絵
インカの秘宝
著者等紹介
スプルース,リチャード[スプルース,リチャード][Spruce,Richard]
1817‐93。英国ヨークシャーの寒村ガンソープ生まれの植物学者。数学教師を務めながら幼少のころからの植物への関心を育み、とくに蘚苔類の専門家となる。1845~46年、フランスのピレネーで採集。49年には南米大陸に植物を求めてアマゾン河に渡る。下アマゾン河からリオ・ネグロ川、オリノコ川を遡行、カシキアーレ水道の錯綜部を探検。生涯深い交わりを結ぶこととなったウォレスとはこのとき出会う。55年、転じて上アマゾン河を遡行、ペルーのタラポトにいたる。58年にはさらにエクアドルのアンバトに居を移し、ここを拠点にアンデス山系の調査探検に従事する。この間マラリアの特効薬キニーネの採れるアカキナノキの種子、苗木を集めて東洋の熱帯地方に送り、プランテーションの建設に貢献。64年帰国。その後は故郷のヨークシャーで研究生活を送り、93年病弱のうちに七七歳の生涯を閉じる
ウォレス,アルフレッド・R.[ウォレス,アルフレッドR.][Wallace,Alfred Russel]
1823‐1913。英国ウェールズのウスク生まれの博物学者、生物進化論者、社会思想家。1848年、種の起原の解明を意図してブラジルに渡り、下アマゾン河からリオ・ネグロ川流域を四年間にわたって調査探検、52年帰国。54年転じてマレー群島に赴き、62年まで動植物の採集と観察をおこなう。58年、テルナテの僻村で自然淘汰による生物進化の理論を着想、いわゆる「テルナテ論文」をダーウィンに送って『種の起原』の発表の糸口をあたえた。また、バリ、ロンボク二島を隔する動物分布の境界線を発見してウォレス線の名を残した。帰国後は定職が得られぬままに1913年、九〇歳一〇カ月の生涯を閉じるまでに、膨大な著書、論文を公にし、晩年の論説は社会問題にもおよんだ。スプルースの遺稿の編纂は八五歳のときの仕事である
長沢純夫[ナガサワスミオ]
1919年、東京生まれ。京都帝国大学農学部農林生物学科卒業。応用昆虫学専攻。元島根大学教授、農学博士。日本応用動物昆虫学会、日本昆虫学会などの会員
大曾根静香[オオソネシズカ]
大阪生まれ。早稲田大学第一文学部英文学科卒業
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