続・音の風景心の風景

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  • サイズ B6判/ページ数 306p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784806712114
  • NDC分類 914.6
  • Cコード C0095

出版社内容情報

精神科医として活動してきた著者が、小学校入学前から母と死別した小学四年頃、さらに青春前期までの自らの心の動きを、その時代背景とともに丹念にたどる。母との心の交流、友だちとのかかわり、自立していく過程など、現代の子育てに戸惑う若い親の参考になるだろう。  ●●●本文「井荻日歴について」より=人間の一生を考えてみた時、幼児から10歳くらいまでの僅か6、7年間は期間としては短いが、非常に大切な時期だと思う。その人の一生を左右する性格の核ともいうべきものが出来上がる時だからである。このいわば無意識に過ごしている時代に形成されたものが、その後の人生のいたるところで、不意にその姿を現すもので、本人にとってはあとになってから、どうして自分はそのように反応し、行動することになったのかと考えさせられることが多い。好き、嫌い、うまが合う、合わない等々の感情的な選択に始まって、威張ったり恐れたりという気持ちが巧まずして表れてくる。本人自身にはそれほど明確に自覚されていないところに、怖さもあれば面白さもある。こんなことを考えているうちにこの一文は出来上がった。これは私自身が育った昭和初期の時代背景にふれるのと同時に、自分の生きてきた記録として、まことに粗末ではあるが人間として精一杯の営みをしていた時代に対するノスタルジーであろうか。●●●本文「シューマンのパトグラフィー(病跡学)についての一試論」より抜粋=シューマンは堂々たる体格で、またその挙措は優雅であり、態度は荘重、ある時はきびしささえあったが、それでいて静かに歩き、足音もたてなかったという。広い額の上に、暗褐色の頭髪が豊かに波打ち、立派な鼻翼を挟んで灰色の瞳があったが、近視のため伏目がちであった。それに話す声は何かつぶやいているような調子で、一体に他人からは内省的な人間と思われていた。このことは非社交的で自閉的だったのではなかったろうかという私の考えと一致する。シューマンの精神生活は、音楽について世界的な芸術家として名のある他の人々と比較した場合に、もっとも複雑かつ危険なものであったと思われる。彼の精神は彼に加えられた精神的負担によって絶えず痛めつけられ、またそのため体力は常にむしばまれていった。そして彼は本能的に自分が短命だろうと予想していた。シューマンの精神構造を分析することによって、私は常人を超えた才能を生まれながらに受けた人間が、どのていどまで生命力を犠牲にして、その独創性をなしとげるかを示した典型的なケースではないかと思っている。しかもクララとは何年間もついたりはなれたりを繰り返し、そのためヴィークとはもちろんのこと、時にはクララとさえも争うような苦しみの後に、裁判で父親にその結婚を認めさせたのは1840年、シューマン30歳の時である。しかしすぐれた才能の持ち主であったクララとの生活は、シューマンにとっては幸せとはいえなかったのではなかろうか。幼い頃から天才ピアニストとしてヨーロッパ各国の音楽愛好家から称賛されていたクララは、どちらかといえば権勢欲が強く、このためシューマンに対し、過重とも思われる作曲活動を強要することになった。その上、派手で演奏旅行の好きなクララの付き人のような役割を果たさざるを得ないようになった。シューマンは20代の頃のようにピアノ作品を書きたかったのではないかと思うが、クララとの結婚後には、ピアノ曲で名曲といわれるものはほとんどない。なおクララとの間には何人もの子どもをもうけたが、32歳の頃のシューマンの日記には屡々「眩暈発作」と「重篤な神経衰弱」という言葉が出てくる。1844年の夏にクララとロシアへ演奏旅行に行った。この時にもひどいメランコリーと眩暈発作のため、モスクワ滞在中苦しみ続けた。この頃の日記にも「全く自分の病気には我慢できない。その上クララの振舞いもだ」と書かれているが、これはやや異常なシューマンのいうことであるとしても、あれほどまで熱望したクララとの結婚の結果として、こういうことになったシューマンの心情を考えると暗然となる。ロマン主義時代の作曲家の生涯は大なり小なり悲劇的であったが、シューマンの場合は本人だけでなく、その子どもたちのことを考えてみると、シューマン家にもたらされた運命はまったく家庭悲劇といっても過言ではない。●●●  【主要目次】井荻日歴/湯河原日歴/シューマンのパトグラフィー(病跡学)についての一試論

内容説明

本書は、著者の小学校入学前から母親に死別した小学校四年生の頃のこと,および青春前期までの精神生活の過程を、日記等によってできるだけ忠実に再現したものである。できる限り当時の友人や老齢ながら存命であった小学校の恩師にも会い、著者の体験の確認作業を続けたが、これが第一章の「井荻日暦」である。年を経て湯河原に移り住んでからは日記をつける習慣が途切れることがあったが、それでも断続的に細々と続いていた。その中で1991(平成3)年暮れから1992(平成四)年末までのものからピックアップしたものが第二章の「湯河原日暦」である。第三章の「シューマンのパトグラフィー(病跡学)についての一試論」についてはひとまず試論として著者自身の考えを纏めたものである。

目次

井荻日暦
湯河原日暦
シューマンのパトグラフィー(病跡学)についての一試論

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