サルヴィフィチ・ドローリス - 苦しみのキリスト教的意味 ヨハネ・パウロ二世の教皇

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  • サイズ シヨB6判/ページ数 114p/高さ 17cm
  • 商品コード 9784805636053
  • Cコード C0216

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Timothy

6
10月というのは、気温が下がることもあって苦悩に対し敏感になるのだろうか?たまたまヨブ記を読んだついでに本書を思い出し、読んで読了登録してみると、初読の記録が一昨年の10月9日、再読が昨年10月23日、そして再再読が本日10月24日である。あまりに出来すぎているようだが完全に無意識だった。 他者の苦しみに敏感でありたいが、未熟な自分で手一杯だ。「他者を愛する」という一大テーマを重荷に感じることもある。本書はそんな風に焦る気持ちを引き留めて鎮めるような、穏やかな文体を持つ。秋のおセンチに効くのかもしれない。2017/10/24

Timothy

0
自分の苦しみを「無意味」だと虚しく捉えるのは最も避けるべきことだ。苦難は神からの試練であるという考え方が好きだ。しかし本書で大きく扱われているキリストの十字架に与るという考え方は、自分のためではなく他人のための苦しみである。殉教者たちが持つ超人的な精神力に納得できなかったこともある。彼らには神の力添えだけでなく、このような苦難への理解があったからこそ、あの強さを貫くことができたのではないだろうか。2015/10/09

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