内容説明
「バウハウス叢書」の企画編集・装幀・タイポグラフィを手がけたモホリ=ナギが、バウハウスで1922年から28年まで指導した基礎課程の授業を元に、その理想像を示した機能主義的・構成主義的な基礎造形の見取図。バウハウスにおける授業を生き生きと伝える記録であり、のちに本書を改訂英訳して刊行された『ザ・ニュー・ヴィジョン』は、アメリカにおける芸術教育に大きな影響を及ぼした。
目次
1 教育の問題
2 材料
3 量感(彫塑)
4 空間(建築)
著者等紹介
モホリ=ナギ,L.[モホリナギ,L.] [Moholy‐Nagy,L´aszl´o]
1895‐1946。ハンガリーのバーチボルショード生まれの、写真家、画家、タイポグラファー、美術教育者。ブダペスト大学で法学を学んだ後、ハンガリーのアヴァンギャルド運動を先導した芸術家集団「MA」に加入。ベルリンに移り、ドイツの芸術家たちと親交を深める。1922年に初めての個展をデア・シュトゥルム画廊で開き、W・グロピウスと知り合う。翌年、グロピウスの招聘を受けてヴァイマールのバウハウスの親方となり、基礎課程教育の充実、タイポグラフィや実験的な写真芸術などに取り組む。バウハウスの出版物の装飾・レイアウト・タイポグラフィを多く手がけ、グロピウスと共同で「バウハウス機関紙」や「バウハウス叢書」を編集する。1928年、バウハウスを辞した後、ベルリンでタイポグラフィやフォトモンタージュの研究に集中。1933年、アテネで開催された第4回近代建築国際会議(CIAM)に参加し、記録映画を撮影する。翌年亡命し、アムステルダムを経てロンドンへ移る。1937年にアメリカに渡り、シカゴのニュー・バウハウスの初代校長に就任(翌年閉校)。1939年、スクール・オブ・デザインを設立(後にインスティテュート・オブ・デザインに改名、1949年イリノイ工科大学に吸収され現在に至る)。晩年までシカゴに留まり、フリーランスの画家、デザイナーとして創作を続けた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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