目次
1 世界市民であること(西欧化と国際化;人間社会の発展;個々人の考え方 ほか)
2 日本は世界に何を寄与できるか(日本人の美質;援助にあたっての問題点;個々人の努力 ほか)
3 外国語を習うことについて(外国語の習得にあたっての日本的な問題点;日本の言語的孤立;教育改革 ほか)
著者等紹介
ライシャワー,エドウィン・O.[ライシャワー,エドウィンO.][Reischauer,Edwin O.]
1910年10月15日明治学院内宣教師館で生まれる。1916年、日本アメリカンスクールに入学。1918年、東京女子大学を創立。1927年、日本アメリカンスクール卒業。オーバリン大学に入学。1931年オーバリン大学卒業後、ハーバード大学大学院歴史学部に入学。1932年、ハーバード大学修士(MA)。1933年、ハーバード燕京研究所のフェロー奨学金にて、パリ大学へ留学。1935年、日本の女学校で英語を教えていたアドリエン・ダントンと東京で結婚。1939年、円仁研究により博士号(Ph.D.)を取得。エリセーエフと共同で日本語の講座を始める。1941年、国務省極東課に一時勤務。1942年、陸軍通信隊の依頼でワシントンに赴き、翻訳者と暗号解読者を養成する学校の組織と運営に従事。1943年、陸軍参謀部G2の要請により少佐に任官。1945年、国務省極東部長の特別補佐官として入省。1946年、ハーバード大学に戻り、再び学究生活に入る。1950年、ハーバード大学極東言語学部の正教授に昇進。1955年、妻アドリエン心臓病のため死去。1956年、松方ハルと東京にて再婚。1957年、オーバリン大学より名誉博士号を授与。1960年、ハーバード燕京研究所長として、東アジア各地へ出張。1961年、ケネディ政権の下、第17代駐日大使に任命され、日本に赴任。、1966年、駐日大使の職を辞して離日、ハーバード大学へ戻る。ハーバード大学より名誉あるユニバーシティ・プロフェッサーという自由なポストに任命される。1975年、日本学士院の客員に指名される。国際交流基金賞を授与される。1977年、ハーバード大学出版会より『ザ・ジャパニーズ』が出版され、日米両国でベストセラーとなる。1981年、ハーバード大学を定年退職。1983年ハーバード燕京研究所の理事長を辞す(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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