正法眼蔵―行仏威儀を味わう

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正法眼蔵―行仏威儀を味わう

  • 内山 興正【著】
  • 価格 ¥2,090(本体¥1,900)
  • 大法輪閣(2017/02発売)
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  • サイズ B6判/ページ数 174p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784804613932
  • NDC分類 188.84
  • Cコード C0015

出版社内容情報

いくつもの正法眼蔵の巻を生んだ「行仏威儀」巻の語句ごとに、内山老師が自身に当てはめ、自己の問題として平易に解き明かした提唱録

正法眼蔵 行仏威儀 原文



◆仏法は口ではいえるものではない

 それなのに道元禅師はなぜ大部の正法眼蔵を書かれたか

◆正法眼蔵のご文章もよくよく案ずれば

 ひとえに興正一人がためなりけり

◆私の人生という一生そのものが

 じつは一?の坐禅なのだ

◆地獄へ突き落とされたらどうするか?

 地獄にじっとつかり込んで身動きできぬと決定する

◆われわれ間違えればこそ生まれてきたのだ

 その限り生きているということはすべて間違っている

◆色気と食気だけは分かる

 しかしあと分からない、とにかく子供を産んでおけという野蛮時代

◆来生は人間に生まれ変わるといわれた白犬が悩んでいる

 土用に三度人間のクソにありつけるかどうか

◆やる気も何も失せた最後のギリギリはどうだ?

 「どうでも勝手にしやがれ御いのち」で死んでいく

◆坐禅修行して悟ろう悟ろうとする求道の姿が

 じつはそういう形で物足りようとする思いでしかない

◆道元禅師が悟られた「眼横鼻直」とは何か?

 いまの息は、いま息せねばならぬと悟られたのだ

◆仏さんは説法するばかりと思っている

 ところが仏が法を聴き、仏が修行し、仏が成仏するのだ



 あとがき 

 後記(櫛谷宗則)



内山 興正[ウチヤマ コウショウ]
明治45年、東京に生まれる。早稲田大学西洋哲学科を卒業、さらに2年間同大学院に在籍後、宮崎公教神学校教師となる。昭和16年、澤木興道老師について出家得度。以来坐禅修行一筋に生き、昭和40年、澤木老師遷化の後は、安泰寺堂頭として10年間弟子の育成と坐禅の普及に努める。平成10年3月13日、示寂。著作は数多く、英・独・仏・伊語などにも訳されている。主著に『正法眼蔵―行仏威儀を味わう』『正法眼蔵一坐禅販を味わう』『生存と生命』『御いのち抄』(以上、柏樹社)、『ともに育つこころ』(小学館)、『禅からのアドバイス』『いのち楽しむ―内山興正老師遺稿集』『坐禅の意味と実際―生命の実物を生きる』『自己―ある禅僧の心の遍歴』『普勧坐禅儀を読む―宗教としての道元禅』『宿なし興道法句参―澤木興道老師の言葉を味わう』『正法眼蔵―八大人覚を味わう』『正法眼蔵―現成公案・摩詞般若波羅蜜を味わう』『正法眼蔵―生死を味わう』(以上、大法輪閣)。など

櫛谷 宗則[クシヤ シュウソク]
昭和25年、新潟県五泉市の生まれ。子供の頃、講演に来られた澤木老師にまみえたが覚えていない。19歳のとき、内山興正老師について出家得度。以来、安泰寺道場に10年間安居。老師の隠居地(宇治市)に近い宇治田原町の空家に入り、排雪庵と称して縁ある人と共に坐っている。『禅に聞け』『澤木興道老師のことば』(以上、大法輪閣)、『コトリと息がきれたら嬉しいな』(探求社)、『共に育つ』(排雪庵)等を編集。

内容説明

行仏とは、天地一杯のいのちの力を自らの力として生きること、そこに天地の威儀が現われる。「行仏威儀」の巻を単なる解釈でなく、自らの生きるいのちの言葉として読みとき、新たな息吹を感じさせる提唱録。

目次

正法眼蔵 行仏威儀 原文
仏法は口ではいえるものではない それなのに道元禅師はなぜ大部の正法眼蔵を書かれたか
正法眼蔵のご文章もよくよく案ずればひとえに興正一人がためなりけり
私の人生という一生そのものがじつは一〓(けい)の坐禅なのだ
地獄へ突き落とされたらどうするか?地獄にじっとつかり込んで身動きできぬと決定する
われわれ間違えればこそ生まれてきたのだ その限り生きているということはすべて間違っている
色気と食気だけは分かる しかしあと分からない、とにかく子供を産んでおけという野蛮時代
来生は人間に生まれ変わるといわれた白犬が悩んでいる 土用に三度人間のクソにありつけるかどうか
やる気も何も失せた最後のギリギリはどうだ?「どうでも勝手にしやがれ御いのち」で死んでいく
坐禅修行して悟ろう悟ろうとする求道の姿がじつはそういう形で物足りようとする思いでしかない
道元禅師が語られた「眼横鼻直」とは何か?いまの息は、いま息せねばならぬと悟られたのだ
仏さんは説法するばかりと思っている ところが仏が法を聴き、仏が修行し、仏が成仏するのだ

著者等紹介

内山興正[ウチヤマコウショウ]
明治45年、東京に生まれる。早稲田大学西洋哲学科を卒業、さらに2年間同大学院に在籍後、宮崎公教神学校教師となる。昭和16年、澤木興道老師について出家得度。以来坐禅修行一筋に生き、昭和40年、澤木老師遷化の後は、安泰寺堂頭として10年間弟子の育成と坐禅の普及に努める。平成10年3月13日、示寂(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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「思いは頭の分泌物」だからそんな考えなんてものは浮かんで来る瞬間に何度も「手放し」ていかなければならない。なまの命を生きなければならない。「悟った」などという思いも瞬間瞬間に手放さなければならない。だからたとえ仏でも修行するし教えを聴く。むしろ仏だからこそいま刻々に頭を手放す。頭を手放して坐れば誰でもその瞬間に仏でもある。私は凡夫なのでそんなことはできませんと思っていてもそれがなまの命でありとにかく手放せばそれがそのまま生命実物のナマの命だ。2017/07/03

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