内容説明
生死の中に仏あれば生死なし。つまり生死の何から何までが仏なのだから、生死というものはないということです。すべて一切、天地一杯、生も死もひっくるめたものが、仏なのです。
目次
正法眼蔵生死を味わう(「死」を見つめない生き方は本当の生き方ではない。;新興宗教のあくどい手口―その責任は「死」を明らめない方便仏教にある。;「仏」とは、不去不来にして如去如来、天地一杯の大生命を指す。;葬式などはしなくてもいい。身近な者の死にぎわを看取ることが大切なのだ。;「死」こそが、人間ギリギリの一番大事なところなのだ。;人生「神も仏もあるものか」と思うときだって必ずある。;本当の「悪」とは何か本当の「善」とは何か。;西有穆山「正法眼蔵啓迪・現成公案」より)
生存と生命
生死詩抄
著者等紹介
内山興正[ウチヤマコウショウ]
明治45年、東京に生まれる。早稲田大学西洋哲学科を卒業、さらに2年間同大学院に在籍後、宮崎公教神学校教師となる。昭和16年、澤木興道老師について出家得度。以来坐禅修行一筋に生き、昭和40年澤木老師遷化の後は、安泰寺堂頭として10年間弟子の育成と坐禅の普及に努める。平成10年3月13日、示寂(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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