内容説明
文学は情報ではない―。谷崎最大の長編「細雪」。しかしその評価は未だ定まってはいない。本書は従来のナラトロジーを更新するノン・コミュニケーション理論を導入することで、日本語による三人称小説の“客観的に論証可能な「語り」読解”の方法論を提示し、プルースト、V・ウルフらに比肩する同時代の世界文学としてその価値を標定する。
目次
第1部 視野、視点 そこで“察し”ているのは誰か?(プルーストの逸脱、『細雪』の制約;『細雪』ナラションにおける“制約”の諸様相;『細雪』ナラションの「視点」;人物視点を超えて;第1部の終わりに―『細雪』の詩学へ)
第2部 ノン・コミュニケーションとしての小説 そこでは誰も語っていない―「視点」不在の“客観文”から“主観”不在の「視点」へ(ディスクール、ナラティヴ、物語;どうして「そこでは誰も語っていない」のか?;日本語におけるレシ文(中立文)の可能性と、日本語小説文の未来)
第3部 『細雪』詩学 にぎやかな静寂 “声”の饗宴と、沈黙のこちら側―ディスクールとコミュニケーションの不在(記述者再登場(潜在するナラター)
“いま”“ここ”で“私”たちが語りだす~コミュニケーション性の二方向
誰も見ていない彼女たち2)
結論 文学のために
著者等紹介
平中悠一[ヒラナカユウイチ]
パリ第7大学修士課程修了、同大学博士課程単位取得退学。東京大学大学院博士課程修了(総合文化研究科言語情報科学専攻)。学術論文、学術翻訳の他に、フランス文学の翻訳、創作などの既刊がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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