一等兵戦死

個数:

一等兵戦死

  • ウェブストアに4冊在庫がございます。(2025年07月03日 15時12分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●3Dセキュア導入とクレジットカードによるお支払いについて
    ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ B40判/ページ数 248p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784802401470
  • NDC分類 916
  • Cコード C0021

出版社内容情報

《支那事変》 ある日本青年の戦争体験

GHQによって廃棄、隠蔽された幻の“名作” 



日本人兵士が最前線を赤裸々に綴った真実の記録



戦後の日本人の記憶からは消されてしまった、勇敢に闘う父祖たちの姿、美しき日本人の心とはー

昭和13年刊行の“直木賞候補”となった戦争ドキュメント!



昭和12年、中国・上海近郊の戦線で、一等兵たちの壮絶な戦いが始まる。

過酷な戦いの日々、つかの間の休息、そして、突然に訪れる戦友の死。



──涙なくしては語れない、前線兵士たちの真実の姿がここにある。



僕は「戦友」という言葉が嫌いだった。
しかし戦線に立ってこの「戦友」という言葉の深さを知った。

生命を一つに結び合わせて、友情以上の友情が僕たちには流れている。

たった一個、まったく一個のキャラメルを分け合ってしゃぶる他人と他人、

一本の煙草を十人で喫う心、おのれの骨をたのむ心情は、決して軍歌の文句の絵空ごとではない。

僕は戦場の教訓をありがたいと思っている。
    
(本文より)



GHQに没収・隠蔽され本とは

戦後、日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)は昭和21年、

戦前・戦中に出版された7,700点を超える刊行物を「宣伝用刊行物」に指定。

これらを、個人宅と図書館を除くあらゆる場所から秘密裏に没収し、

紙パルプに再利用するためとして、事実上の廃棄処分にした。

内容説明

GHQによって廃棄、隠蔽された幻の“名作”。日本人兵士が最前線を赤裸々に綴った真実の記録。“支那事変”ある日本青年の戦争体験。戦後の日本人の記憶からは消されてしまった勇敢に闘う父祖たちの姿、美しき日本人の心とは―昭和13年刊行の“直木賞候補”となった戦争ドキュメント!昭和12年、中国・上海近郊の戦線で一等兵たちの壮絶な戦いが始まる。過酷な戦いの日々、つかの間の休息、そして、突然に訪れる戦友の死。―涙なくしては語れない、前線兵士たちの真実の姿がここにある。

目次

戦線の序章
僕の参戦手帖から(1)
僕の参戦手帖から(2)
一等兵戦死
戦場の点
詩集戦線
上海戦線の余韻
戦線の土、故国の土

著者等紹介

松村益二[マツムラエキジ]
大正2(1913)年、徳島市に生まれる。文化学院文学部卒業後、徳島日日新報社を経て、昭和11(1936)年、毎日新聞社に入社。昭和12(1937)年、支那事変に応召され、昭和13(1938)年、応召解除。同年10月には「一等兵戦死」が春秋社から刊行され、同書は昭和13年上期の直木賞候補となる。昭和19(1944)年、従軍記者としてビルマ戦線へ派遣、昭和21(1946)年に復員。その後は、徳島新聞社編集局長、徳島日本ポルトガル協会理事、四国放送代表取締役社長などを歴任。昭和59(1984)年、腎不全のため逝去。享年70(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

最近チェックした商品