出版社内容情報
1997年10月11日、東京ドーム。『PRIDE.1』ヒクソン×高田戦から20年。あの日を境に、格闘技界の様相は一変した。試合の裏側に何があったのか? 格闘技界第一線で取材を続けた著者が真実に迫る。
内容説明
ヒクソンの圧勝、〓田の惨敗。あの日から、格闘技界の様相は一変した。リアルファイトである総合格闘技人気が爆発。昭和の時代から定着していたプロレス人気が消滅した。ヒクソンVS〓田戦は、いかにして実現したのか?対戦の裏側には、何があったのか?そして、ヒクソンの決意とは!?プロレスの全盛期から、総合格闘技の黎明期、PRIDE全盛期まで第一線で取材・執筆を続けた著者が、20年間を詳細に振り返り、真実に迫る!
目次
第1章 嵐の船出
第2章 「プロレス体験者」
第3章 1988 リオ・デ・ジャネイロ
第4章 グレイシーVS UWFインター
第5章 山籠り
第6章 「冷たい雨」
第7章 再戦
第8章 フェイク
第9章 息子の死を乗り越えて
著者等紹介
近藤隆夫[コンドウタカオ]
1967年、三重県松阪市生まれ。スポーツジャーナリスト。上智大学在学中より『週刊ゴング』誌の記者となる。その後『ゴング格闘技』誌などスポーツ専門誌の編集長を歴任。91年渡米。2年間のカリフォルニア州での生活を経て独立。格闘技をはじめ、野球、陸上競技、自転車競技など、幅広いフィールドで取材、執筆活動を展開する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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緋莢
16
図書館本。1997年10月11日、「PRIDE.1」で行われた高田延彦VSヒクソン・グレイシー。試合に至るまでの2人の歴史、そして、「PRIDE.4」での再戦とその後を書いています。ヒクソン寄りの書き方をしており、高田に対しては結構厳しい書き方をしています。それは作中でも語られる「プロレス体験者」(プロレスに魅せられ、プロレスラーこそが最強だと思う等)であった著者が、失望させられたからなのでしょうか?まあ、高田に関しては総合格闘技の才能(もしくはセンス)が無かったのは 確かだと思います(続く 2018/04/10
0607xxx
14
ヒクソンも高田も知らなかったが、格闘技好きの父親がPPVを購入していたので、たまたまこの試合を見た。終始暗さが漂っており、プロレスを背負い死刑台に向かう高田と処刑人のヒクソンという印象で、正にプロレスが死んだ日だった。ヒクソンの取材が度々行われており、ヒクソングレイシーという男の凄さが、よく分かった。面白かった。2017/12/10
加藤久和
8
熱心なプロレスファンだったわけではないが自分も著者が言う「プロレス体験者」ではあった。しかしリアルファイトを掲げる総合格闘技の登場によってプロレスひいては格闘技への関心を急速に失っていった。その中でもいつまでも心に残る一戦と言えば著者と同じくヒクソン・グレイシーVS高田延彦の初戦をあげることになるだろう。当時録画した試合のビデオを何十回となく繰り返して観た。それほど不思議な試合だった。ヒクソンは魔術師のようだった。ヒクソンと伴走した著者の証言は貴重であり20年たった今心に刺さった棘が溶けていくようだった。2017/12/08
摩訶不志木
7
1997月10月11日、プロレスが死んだ日の前後の物語。知らない話も多く、なかなかシビれる内容であった。ヒクソンを生で観てみたかった。2019/10/03
豊平川散歩
7
ヒクソン戦後の髙田は、業界からはボロクソ言われていた。猪木からは「よりによって一番弱い奴が出ていった」と言われた。今から思うと、そうでもしないとプロレス界が崩壊してしまいそうだからだった。髙田の勇気は、決して讃えられることなく。それに続いた船木も山本も立派だ。残念なのは前田だ。結局ルールとギャラの問題が大きかったのだと思うが、プライドが邪魔したのか。2018/05/06