就職しないで生きるには21
偶然の装丁家

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  • サイズ B6判/ページ数 281p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784794968487
  • NDC分類 022.57
  • Cコード C0095

出版社内容情報

ただ絵を描くことが好きだった少年は、どのように本づくりの道にたどり着いたのか。気鋭の装丁家が考える、これからの暮らしと仕事。

「いつのまにか装丁家になっていた」――。中島岳志や森まゆみの著作をはじめ、数多くの「本の貌」を手がける矢萩多聞。学校や先生になじめず中学1年で不登校、14歳からインドで暮らし、専門的なデザインの勉強もしていない。ただ絵を描くことが好きだった少年はどのように本づくりの道にたどり着いたのか? 個性的でなければとか、資格を持たなければとかといったような社会の風潮の中、どうしたら自らがのびのびと生きる道を探すことができるのか、居心地のよい「生き方」「働き方」を模索した一冊。

はじめに

1 学校とセンセイ
 先生なんか嫌いだ
 宿題はやりません
 学校に行きたくない
 明るい不登校児
 石井先生との出会い
 ここからはじめよう
 学ぶって、なんて楽しいことだろう
 だれ一人も、とりこぼさない
 学校はもうやめた

2 インドで暮らす
 はじめての外国
 インドの旅で見たこと
 留学するまえに生活しよう
 町がぼくの先生
 町の地図をつくる
 手紙魔の手帳
 病気になるたびに
 暮らすことがヨーガ
 インド映画にはまる
 ずっと雨を待っていた
 空と雲を見て一日がおわる
 生きられるところまで生きよう
 引っ越し
 街の暮らしを楽しむ
 その場にアジャストする
 思いがけず日本語を教える
 語りの家と子どもたち
 ヒンドゥー教徒になる

3 絵を描くこと
 絵を描く人になりたい
 美術はいつも一だった
 ミティラー画との出会い
 個展をやってみよう
 お客さんはきませんよ
 描けないときは、描かない
 時計と絵のコラボレーション
 自分で絵を売っていく
 伝えたいものなんて何もない
 
4 本をつくる仕事
 はじめての本づくり
 本嫌いの本づくり
 安原顯さんとの仕事
 中島岳志さんとの仕事
 一冊の本ができるまで
 目に見えない本を売っている
 竹内敏晴さんとの仕事
 ノイズのある豊かな世界
 ワークショップと多聞新聞
 一杯の水を差しだすように
 本づくりは、はじまったばかり
 
5 日本で暮らす
 家で仕事をするということ
 くすみ書房のこと
 なんでもない場で、コーヒーを飲もう
 インターネット
 子どもの誕生と震災
 どこで暮らすか、何をして働くか
 ポスト3・11の本づくり
 汚れない本と汚れている本
 よそ者を楽しむ
 東京という軸をずらす
 ミシマ社との出会い
 みんなが暮らしていけるために
 えほんをよむかい
 子どもとともに

あとがき

【著者紹介】
1980年、横浜生まれ。画家・装丁家。中学1年で学校をやめ、ペンによる細密画を描きはじめる。95年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に個展をひらく。2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。運営・編集・デザインをてがけ、日印交流イベントを多く企画する。02年から本づくりの仕事にかかわるようになり、これまでに350冊を超える本をてがける。12年、事務所兼自宅を京都に移転。現在はインド・バンガロール―横浜―京都を行き来し、装丁、ペン画、イベント企画など多岐にわたって活動をくり広げている。著書に『インド・まるごと多聞典』(02年、春風社)がある。

内容説明

「いつのまにか装丁家になっていた」―。中島岳志や森まゆみの著作をはじめ、小説、学術書、ビジネス書など、幅広く「本の貌」を手がける矢萩多聞。学校や先生になじめず中学一年で不登校、一四歳からインドで暮らし、専門的なデザインの勉強もしていない。ただ絵を描くことが好きだった少年はどのように本づくりの道にたどり着いたのか?気鋭のブックデザイナーが考える、これからの暮らしと仕事。

目次

1 学校とセンセイ(先生なんか嫌いだ;学校に行きたくない ほか)
2 インドで暮らす(はじめての外国;インドの旅で見たこと ほか)
3 絵を描くこと(絵を描く人になりたい;美術はいつも一だった ほか)
4 本をつくる仕事(はじめての本;本嫌いの本づくり ほか)
5 日本で暮らす(家で仕事をするということ;くすみ書房のこと ほか)

著者等紹介

矢萩多聞[ヤハギタモン]
1980年、横浜生まれ。画家・装丁家。中学一年で学校をやめ、ペンによる細密画を描きはじめる。95年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に個展をひらく。2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。運営・編集・デザインをてがけ、日印交流イベントを多く企画する。02年から本づくりの仕事にかかわるようになり、これまでに三五〇冊を超える本をてがける。12年、事務所兼自宅を京都に移転。現在はインド・バンガロール―横浜―京都を行き来し、装丁、ペン画、イベント企画など多岐にわたって活動をくり広げている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

新地学@児童書病発動中

116
偶然の積み重ねによって、装丁家になった矢萩さんの生き方を描いた本。不登校だった学生時代、インドでの体験、本を作る経験など、どの章も内容が豊かだった。矢萩さんの絵や装丁した本の写真もあり、独特の感性を感じる。個性が自分の中ではなく、それを感じる他者の中にあると言う矢萩さんの哲学が非常に新鮮。物を作ることは自分だけの作業ではないのだ。本が人と人をつなぐと言う想いはこの間読んだ『あしたから出版社』の島田さんとも共通しており、こういった人たちがいる限り、日本の出版界の未来は暗くない。2014/12/07

どんぐり

63
矢萩多聞さんは、ミシマ社のウェブマガジンのデザインも手掛けた本の「装丁家」である。彼が特異なのは、中学1年で学校に行くのをやめて、好きな絵を描きながら15歳からインドと日本を半年ごとに往復し、20歳を過ぎてから本づくりの仕事をしているということだ。彼の装丁による本で、中島岳志の『インドの時代』を読んだことがある。ギョロリとした目の女性が印象深い装丁だ。この本には「就職しないで生きるには」という方法は何も書いていないけれど、自分の居場所がたまたま就職しないでも生きられる仕事につながったということである。2015/03/14

kinkin

38
矢萩多聞さんは装丁家。絵の好きな彼は不登校、ひきこもり、そしてインドへ渡り生活し日本に戻り装丁の仕事を始める。この本には装丁がどういう仕事でどういう流れで本が出来上がるのかということ。就職しないで生きるにはというサブタイトルがついているがむしろ多くの人は「就職してもいきるには」を知りたがっているのではないかと書いている。死んだ友人に話しかけていた言葉、平凡でいい、特別な何かになろうとしなくていい、個性的に生きずに才能など存在せず、あるとしたら人の出会いと運だけそれがこの本の中に流れている。お薦めの一冊2014/05/26

pirokichi

22
これ迄500冊以上を手がけた装丁家・矢萩多聞さんの自叙伝的本。以前読んだ『晴れたら空に骨まいて』(川内有緒)で矢萩ファミリーに魅了されていたので、学校のこと、学校をやめ中2からインドで暮らしはじめたこと、子ども時代から好きだった絵を描くこと、本をつくる仕事のこと、そして現在の日本での暮らしのこと等、とても興味深く、面白かった。インドで町の地図づくりに夢中になった話は凄く好きだなあ。与えられた場所、人との出会いの中で身の丈にあった居場所をみつけること。著者の言う「ほがらかなコミュニケーション」って、いいね!2021/10/18

チェアー

16
一見、多聞さんは個性的。中学1年で学校に行くのをやめてインドに行き、絵を描き、本を装丁するようになった。それは彼にとってはごく自然なことで、無理に個性を作り出した訳ではない。偶然の人の出会いやタイミングなどがあって実現したものだ。むしろ、感じるのは人の縁に恵まれているということ。苦しい時や悩んでいるときに助けてくれたり、教えてくれたりするひとが常に現れる。それは彼がひとを大切にしているからなのだろう。ひとを大切にすれば、ひとから助けられる。だから、彼が装丁家になったこともきっと必然だったのだろう。2019/02/03

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