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出版社内容情報
学生時代から思考の元のところで、ずっと気になっていた日本語の構造とジャーナリズムの問題。日本語はジャーナリズムに適した言葉なのか? 日本語の構造については、森有正、丸山真男、本多勝一、大宅壮一、清水幾太郎、佐野真一、片岡義男など、多くの論者が挑んできた。
明治期の新聞がどのように口語体になったか。言語学者、文法学者は日本語をどのように考えてきたのか。戦後、大本営発表のような報道を繰り返さないために、新聞はどのような文体を選んだか。何を伝えるかではなく、どのように伝えるか、日本語から考えるジャーナリズム論にして、日本文化論。
主語が曖昧。人間関係に縛られる。日本語によるジャーナリズムは可能か?日本語から考えるジャーナリズム論にして、日本文化論。
武田徹[タケダトオル]
1958年生まれ。ジャーナリスト・評論家。東京大学先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大学教授などを歴任。国際基督教大学大学院修了。メディアと社会の相関領域をテーマに執筆を続け、メディア、ジャーナリズム教育に携わってきた。2000年『流行人類学クロニクル』(日経BP社)でサントリー学芸賞受賞。
著書に『偽満州国論』『「隔離」という病』(中公文庫)、『殺して忘れる社会』(河出書房新社)、『戦争報道』 (ちくま新書)、『原発報道とメディア』(講談社現代新書)、『原発論議はなぜ不毛なのか』『私たちはこうして「原発大国」を選んだ―増補版「核」論』(中公新書ラクレ)、『暴力的風景論』(新潮社)、『NHK問題??二〇一四年・増補改訂版』(KindleDirectPublishing版)等多数がある。
内容説明
学生時代から思考の元のところで、ずっと気になっていた日本語の構造とジャーナリズムの問題。日本語はジャーナリズムに適した言葉なのか?日本語の構造については、森有正、丸山真男、本多勝一、大宅壮一、清水幾太郎、佐野眞一、片岡義男など、多くの論者が挑んできた。明治期の新聞がどのように口語体になったか。言語学者、文法学者は日本語をどのように考えてきたのか。戦後、大本営発表のような報道を繰り返さないために、新聞はどのような文体を選んだか。何を伝えるかではなく、どのように伝えるか、日本語から考えるジャーナリズム論にして、日本文化論。
目次
1 日本語は批評やジャーナリズムの道具となりえるか
2 命題がたてられない―森有正の日本語論
3 論理的なのか、非文法的なのか―本多勝一の日本語論
4 「である」ことと「する」こと―佐野眞一、丸山真男、荻生徂徠
5 国語とジャーナリズム
6 無署名性言語システムの呪縛―玉木明のジャーナリズム言語論
7 中立公正の理念とジャーナリズムの産業化―大宅壮一と清水幾太郎
8 「うち」の外へ、日本語の外へ―片岡義男の日本語論
著者等紹介
武田徹[タケダトオル]
1958年生まれ。ジャーナリスト・評論家。東京大学先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大学教授などを歴任。国際基督教大学大学院修了。メディアと社会の相関領域をテーマに執筆を続け、メディア、ジャーナリズム教育に携わってきた。2000年『流行人類学クロニクル』(日経BP社)でサントリー学芸賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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