出版社内容情報
この新しい階級概念は、私たち一人ひとりの明日の姿を描いている。
人間を大地につなぎ直す大いなる反転。万人の新たな政治参加モデル
近代化の進行によって人類活動は加速度的に増大し、私たちは人間活動の痕跡が地質に明確に残る時代、「人新世」に到達した。いまや人間の生産システムは破壊システムの様相を呈し、甚大な気候危機を招いている。ところが、多くの人々は未曽有の危機が迫る中、無関心、麻痺状態に陥ったままだ。親が子に「居住可能な世界」を残すこともままならなくなった文明を、未だに「合理主義的」と見なしている。
本書はそんな私たちに、「近代化」を早急に脱して「エコロジー化」を目指すべきだと説く。ただエコロジー化への移行は容易ではない。著者らはその原因を、近代人に特有の自然観、「自然は外部的で遠くから把握が可能なもの、人間社会とは無関係に存在するもの」という見方にあると分析する。その自然観ゆえに、近代人は虚構の居住世界に迷い込んでしまう。彼らにとって、居住する大地も帰属する国家も市場経済も、すべてがこの自然観(近代の認識論)に支配された抽象的存在なのである。自然を資源とみなし「無限の生産」を目指すことができるのもそのせいだ。ところが、いまや人類活動は地球の「環境容量」を遥かに超えるところまで来てしまった。そしてそこに、「終わりなき侵略戦争」が覆い被さっている。
著者らが「エコロジー化」への第一歩として挙げるのがエコロジー階級の政治的育成である。ただしそれは、マルクスやエリアスがあげたような伝統的社会階級ではなく、生き物の生存条件の維持に最大の価値を置く「地‐社会階級」である。著者らはエコロジー運動を社会運動に効果的に繋げるべきだとするが、そこに重大な要件を一つ設ける。近代の自然観を排し、新たな自然観をとることだ。そこでの自然とは「クリティカルゾーン」(生き物が誕生以来、何十億年という年月をかけて地上に創出し、維持してきた地球の表層数キロの薄膜)のことをいう。私たちが目指すべきは「生産」ではなく、クリティカルゾーンの「居住可能性条件」の維持、拡大、修繕を図ることだと本書は結論づける。(かわむら・くみこ 環境社会学・科学社会学)
【目次】



