ダンスシューズで雪のシベリアへ―あるラトビア人家族の物語

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ダンスシューズで雪のシベリアへ―あるラトビア人家族の物語

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  • サイズ B6判/ページ数 392p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784794809476
  • NDC分類 989.96
  • Cコード C0022

出版社内容情報

ユーラシア大陸の西端、バルト海のほとりにあるラトビアは、1991年に旧ソ連からの独立を回復したのち2004年にEUに加盟し、つい先頃、2014年からのユーロ導入が決定したばかりの国である。
 国の成り立ちを振り返れば、二つの世界大戦とロシア革命を経て、一九一八年に共和国の成立後、1940年のソ連の侵入、その一年後のドイツによる統治、そして1944年のソ連による再度の占領と、民族は盛衰をきわめた。独ソの狭間で苦渋を味わい、旧ソ連に併合されたバルト三国において、シベリアが影を落とさない家系はないと言われている。それだけに、ペレストロイカ以前の旧ソ連で「シベリア」を語ることはタブーであった。
 著者は、ラトビアからはるかに遠いシベリアの寒村に生まれ、スターリン死後の「雪解け」を機に、四歳のときに両親に連れられて祖国ラトビアの地を初めて踏んだ。
 本著は、独立回復以降に入手可能となった古文書と文献資料、さらに家族の日記とシベリア体験者の記録や取材をもとに、旧ソ連における大量流刑の犠牲となった両親と祖父母の足跡を追い、強制収容所と強制移住を追体験する自伝的作品である。
 近現代のラトビア内外の動きを辿りつつ、歴史に翻弄される家族の悲運を浮き彫りにする本著は、バルト三国の同時代人の生き様を明らかにし、20世紀が残した大きな傷跡に光をあて、ラトビア人の歴史観を理解する糸口を与えてくれる。
 「シベリアで両親がなによりも恐れたのは、私がラトビア語を忘れること」と話す著者。140年の伝統を誇る、5年に一度行われる大合唱祭を迎えるこの夏、ラトビア民謡の澄んだ響きに、滲む民族の哀しみが聴きとれよう。
 英語、露語、仏語ほか全12言語に翻訳され、独立回復後においてもっとも幅広い言語で読まれているラトビア文学作品、是非読んでいただきたい。(くろさわ・あゆみ ラトビア語翻訳家)

【著者紹介】
Sandra Kalniete 1952年トムスク州トグル村生まれ。人民戦線の活動家としてラトビアの独立運動を主導したのち、在フランス大使(1997~2002)、外務大臣(02~04)、現職は欧州議会議員(09~)。

内容説明

現在、欧州議会議員を務める著者は、強制追放のためにシベリアの寒村に生まれ、スターリンの死後の「雪解け」を機に、4歳の時に両親に連れられて祖国ラトビアの地を初めて踏んだ。本書は、独立回復以降に入手可能となった公文書や、家族の日記とシベリア体験者の声をもとに、旧ソ連における大量追放の犠牲となった家族の足跡を追い、追体験する自伝的な作品。歴史に翻弄される個人の悲運を浮き彫りにし、バルト三国の近代史に残る傷跡に光をあてる。

目次

前兆
占領
追放
私の祖父ヤーニス
ヴィヤトラグの十字架
ラトビアにおける戦争
銃殺か、もしくは無罪を
強制移住と飢餓
変化
祖母エミリヤ
無法者の家族
ママが雨水で髪を洗ってくれる
これ以上子どもを貢ぎはしない
長い家路

著者等紹介

カルニエテ,サンドラ[カルニエテ,サンドラ] [Kalniete,Sandra]
1952年、トムスク州トグル村生まれ。ラトビア芸術アカデミーにて美学の修士号取得。人民戦線の活動家として、1989年にバルト三国の人々が手を結び世界にバルト三国の問題を知らしめた「人間の鎖」を率先するなど、ラトビアの独立運動を主導。独立回復後は外務省に入省し、国連大使(1993~1997)、在フランス大使(1997~2002)、ユネスコ大使(00~02)、外務大臣(02~04)を務めたのち、04年のラトビアのEU加盟に際し、ラトビア初代の欧州委員に任命される

黒沢歩[クロサワアユミ]
茨城県東海村出身。1991年に大学卒業後、ソビエト崩壊後のモスクワで1年間の語学留学。再生ロシアでの生活を体験する。1993年、来日した当時のラトビア文化大臣ライモンズ・パウルス氏に出会い、ラトビアに関心をもつ。1993年、日本語教師としてラトビアのリーガの日本語学校へ。1994年、日本語を教える傍ら、ラトビア大学文学部にてラトビア文学を学び始める。1997年、ラトビア文学修士号取得。ラトビア語通訳および翻訳を始める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

てり

2
スターリン下のソ連によって敵性分子としてシベリアに強制移住させられたラトビア人のお話。苛酷な移住先での生活とスターリンの死後ラトビアへ戻るまで。追放先で出会い結婚した両親のもとに生まれた著者はラトビアの外務大臣も務めた方。色々知らないことばかりで、実際にこんなことがあったんだと驚くと同時に、様々考えさせられる。2023/06/30

KIKO

2
大国の思惑に翻弄され、理不尽にも家族から引き離され、祖国から連れ出されてシベリアの劣悪な環境の中で強制労働に従事させられる家族の悲劇。シベリア抑留に仮出所・再収監のような制度があるとは知らなかった。念願のラトビアへの帰還を果たした時の「あちこちからラトビア語が聞こえ、町にはラトビア語の表記があふれ、ラジオもラトビア語。なんて幸せなんだろう」という著者の母親の感想には、万感の思いが込められている。2014/04/19

しおパパ

0
家族そろって生活できる幸せを再認識しました。2014/11/14

片隅のひかり

0
約6時間にて読了 歴史に翻弄される家族の後ろに透けて見える、現在のウクライナ情勢やシベリア抑留など、 過去、現在そして未来にも続くであろう問題を考えずにはいられない。2014/04/13

ヨシ

0
時代に翻弄されたラトビアの家族。日頃なじみがない国だからか、今一つ、感情移入できなかった。2024/02/21

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