中国華南/進出企業の二次展開と小三線都市―広東省韶関市の発展戦略

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中国華南/進出企業の二次展開と小三線都市―広東省韶関市の発展戦略

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  • サイズ A5判/ページ数 291p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784794807694
  • NDC分類 509.222
  • Cコード C3033

内容説明

中国では今、沿岸地域を支える内陸部の役割が注目されている。自動車部品の集積地として飛躍するかつての“小三線都市”における企業進出の実態を総力調査し、日中産業提携の次世代の課題を読み解く。

目次

中国の地方都市と地域産業開発
広東省の発展と韶関産業の現在
小三線企業の現在―自動車部品産地としての将来
国有企業の新たな展開―多様な民営化の方向
民営企業の登場と多様な展開
香港企業の二次展開
日本企業、台湾企業の展開
韶関の立地環境と開発区
中国地方都市の産業発展の行方
韶関大学と産学連携
中国小三線都市の機械工業
広州の外周を構成する清遠

著者等紹介

関満博[セキミツヒロ]
1948年富山県生まれ。1976年成城大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、一橋大学大学院商学研究科教授。博士(経済学)。受賞:1984年第9回中小企業研究奨励賞特賞、1994年第34回エコノミスト賞、1997年第19回サントリー学芸賞、1998年第14回大平正芳記念賞特別賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出版社内容情報

韶関は広州に対する軍事工業基地「小三線(疎開工場)基地」であったが、かつての軍需工場が自動車部品の分野に展開していたのであった。自動車部品集積地として飛躍しつつある内陸都市韶関を総力調査、進出企業の現在と未来を展望。

 1978年末の改革・開放政策への転換により、中国経済は飛躍的に発展していく。私が珠江デルタをに初めて訪れたのが91年秋。深圸経済特区はようやく新駅がオープン、駅前にビルがいくつか建ち始めたばかりであった。スラムかと思わせるバラックが延々と立ち並んでいたが、それは建設労働者の宿舎であった。
 その後、深圸特区とその周辺の深圸郊外から東莞にかけて一気に外資企業の進出が始まる。90年代の後半には、深圸~東莞のエリアは「世界の工場」と言われるほどのものになっていった。
 さらに2000年代に入ってからの珠江デルタは、また大きく変わっていく。特に、98年にホンダが広州に進出して以来、機械工業過疎とされていた広州に一気に自動車産業が向かっていった。日産、トヨタの進出により、現在では広州は中国自動車産業の最大の集積地になりつつある。
 そして、珠江デルタの発展に目を奪われていた03年秋、私は浜松市の展示会で韶関に出会う。韶関市政府の書記、市長を始め十数人がブースに詰め、展示品を拡げていた。歯車、トランスミッション、ベアリング、ピストンリングなどであった。韶関は広州に対する軍事工業基地「小三線(疎開工場)基地」であったが、かつての軍需工場が自動車部品の分野に展開していたのであった。
 私自身、新たなテーマが見えたこと、若い研究者に中国産業の基本を知ってもらうのによい場所と思えたこともあり、その後三回にわたり訪問を重ねていく。この間、韶関は重工業基地としてだけでなく、近年は珠江デルタからの工場の二次展開の受け皿としても機能し始めていることが確認できた。
 韶関の企業は予想通り小三線の色合いを濃厚に残していた。街、ホテル、工場、経営者のいずれの雰囲気も90年代初めの頃の無錫、南京あたりによく似ていた。中国の場合、沿海から2、300キロほど入っただけで、状況は相当に異なっているのである。
 もう少し現地調査を重ねたい気持ちもあるのだが、いまだに古い体質を色濃く残す韶関では、外国人がこれ以上踏み込むことは難しく、沿海の大都市とは異なる内陸の都市の「現在」を明らかにするものとして本書を上梓することとした。