出版社内容情報
本書は、テロリズムや都市での青少年暴力などに長年にわたり取り組んできた著者の集大成的な著作である。暴力には常に不可解な側面があり、そこに暴力の本質があり、またそのために過去のどのアプローチの仕方によっても暴力はとらえきれない、と著者はみる。本書が目指しているのは、この不可解な側面をもつ暴力を理解しそれに立ち向かうための分析道具を提示することである。そのために、暴力現象のさまざまな実例、とりわけ大量殺戮、残酷、「暴力のための暴力」という極端な事例を重視しつつ、暴力を目的に達するための道具とみなす功利主義的理解、暴力をフラストレーションや攻撃性と関係づける生物学的理解、アドルノの「権威主義的パーソナリティ」にみられるような文化主義的理解など、あらゆる暴力理解を俎上に載せている。
全体は三部構成からなり、第一部においては、一九六〇年代以降暴力をとりまく状況および暴力現象そのものがどのように変化してきたか、とりわけ冷戦の終結と労働運動の衰退、それにグローバリゼーションが暴力の観点からどのような意味をもつことになったのかを検討する。第二部においては、第一部で検討された現状をふまえて、過去に試みられたさまざまなアプローチがどのような点で有効であり、どのような点で不十分であるのかを具体的に明らかにしている。そして第三部において、主体概念の再生による著者独自のアプローチ法を提示するにいたる。暴力の行為者の主体は、「浮遊する主体」「超主体」「非主体」「反主体」「生き残りを賭けた主体」という五つの顔を見せるといい、この主体概念を機軸にした主体=主観的アプローチが暴力理解にいたる道であるとするのである。
内容説明
あらゆる暴力に立ち向かうすべての人びとへ。旧来分析を乗り超える現代「暴力論」の決定版。非行、犯罪、ハラスメントから大量殺戮、戦争、テロリズムまで、いまあるがままの世界における暴力現象をよりよく理解するために。
目次
第1部 新しいパラダイムに向けて(暴力と紛争;暴力と国家;被害者の出現;暴力とメディア)
第2部 古典的アプローチ(危機とフラストレーション;道具的暴力;文化とパーソナリティ;古典的社会学の限界)
第3部 主体の印し(暴力、意味の喪失と再充填;無意味の仮説;残酷;主体の印し)
著者等紹介
ヴィヴィオルカ,ミシェル[ヴィヴィオルカ,ミシェル][Wieviorka,Michel]
1946年生まれ。文学・人文科学国家博士。パリ社会科学高等研究院(EHESS)教授。1993年より社会学的分析介入センター(CADIS)所長。2006年7月より国際社会学会会長。Cahiers internationaux de Sociologie(「国際社会学誌」)の共同編集長のほか、いくつかの国際雑誌の編集委員を務めている
田川光照[タガワミツテル]
1950年生まれ。愛知大学経営学部教授。現在の研究領域は18世紀フランス文学、現代韓国文学、暴力論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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