出版社内容情報
敗戦の1年をあらゆる資料を駆使し詳細に追ったノンフィクション。5月末、東京につづく横浜への爆撃で市街は灰燼に帰す。
敗戦の1年をあらゆる資料を駆使し詳細に追ったノンフィクション。5月末、東京につづく横浜への爆撃で市街は灰燼に帰す。刑務所内には横浜事件の被告たちがいたが、この事件の真相は。清沢洌の死や木戸幸一追放劇の画策などを描く。
【著者紹介】
1928年(昭和3年)、東京牛込に生まれ、横浜に育つ。水産講習所を経て台湾政治大学へ留学。台湾独立運動に関わる。現代中国史、日本近現代史研究家。主な著書に『昭和二十年』(既刊13巻)『毛沢東五つの戦争』「反日」で生きのびる中国』『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』(いずれも草思社刊)など。本書執筆には1975年ぐらいから準備し40年ほどを費やした。親左翼的な史観にとらわれていた歴史研究に、事実と推論を持って取り組む手法で影響を与える。2013年1月急逝。享年八十四。
内容説明
5月26日東京が焼かれ、皇居も燃える。29日、今度は横浜に大規模な空襲が行われる。横浜の街は灰燼に帰した。そのさなか拘置所に囚われていたのは横浜事件の容疑者たちだった。なぜ横浜事件は起こったのか。そして外交評論家清沢洌の惜しまれる急死。戦争終結に向けて、宮内大臣松平と海軍大臣米内は内大臣木戸を閣内から逐おうと画策。30日、負けても戦争を続けるのかとの米内の質問に、「あくまで戦うのだ」と鈴木首相は確答した。
目次
第23章 火のなかで、焼け跡で、人びとはなにを考えるのか(五月二十六日)(焼夷弾は宮殿に落とされなかった;燃え殻ひとつで宮殿は燃え上がる;夜が明けた、逃げた人びとは ほか)
第24章 横浜大空襲(五月二十九日)(東神奈川に炎があがる;関内に焼夷弾の雨;山下公園の黒潮部隊はもはや動けず ほか)
第25章 迫水、毛里、美濃部がやってきたこと、やろうとしたこと(五月三十日)(「あくまでも戦うのだ」と鈴木貫太郎;毛里、美濃部、迫水が昭和十六年にしたこと;昭和十七年九月、アメリカを見くびっていたと気づいた ほか)
著者等紹介
鳥居民[トリイタミ]
1928年(昭和3年)、東京牛込に生まれ、横浜に育つ。水産講習所を経て台湾政治大学へ留学。台湾独立運動に関わる。現代中国史、日本近現代史研究家。2013年1月急逝。享年八十四(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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