出版社内容情報
1984年に甲府から失踪した女性に拉致が疑われてきた矢先、山梨県警から一報が入る。警察の不可解な対応の裏に何があるのか。
1984年6月、当時20歳の山本美保さんが甲府市から失踪した。20年後、拉致の疑いが濃厚となるなか、突如として山梨県警から、美保さん失踪後まもなく山形の海岸で発見された身元不明遺体と美保さんの双子の妹美砂さんのDNAが一致したとの一報が入った。だが身元不明遺体の身体的特徴は美保さんとはまったく違っていた。警察の不可解な対応の背後に何があるのか。一連の経緯を最もよく知る著者が真相に迫る!
【著者紹介】
1956年東京生まれ。慶應大学法学部卒。拓殖大学海外事情研究所教授。特定失踪者問題調査会代表。著書に『日本が拉致問題を解決できない本当に理由』、編著書に『拉致救出運動の2000日 1996-2002』ほか。
内容説明
1984年6月、山梨県甲府市から1人の女性が忽然と姿を消した。山本美保さん、当時20歳。消息不明のまま18年が過ぎた頃、北朝鮮による拉致の疑いが浮上、著者の荒木氏が代表をつとめる特定失踪者問題調査会は、拉致の可能性が高いと判断した。真相解明の日も近いと思われた2004年3月、山梨県警から唐突な発表があった。DNA鑑定の結果、美保さんの失踪後まもなく山形県の海岸で発見された身元不明遺体が美保さんであると判明したというのだ。しかしその後、奇怪なことがわかる。家族に示された遺留品の数々は、その遺体が美保さんではないことを物語っていたのだ。いったい誰が、何のために矛盾だらけの“死亡”宣告を演出したのか―。拉致問題の闇に分け入った衝撃的な記録。
目次
DNA鑑定の向こうにある闇
1 失踪―1984年6月4日‐1988年
2 九・一七―2002年9月17日‐2003年5月
3 シンボル―2003年5月‐2004年初め
4 “死亡”宣告―2004年3月4日‐3月17日
5 DNA鑑定―2004年4月7日‐2009年6月
6 隠蔽―2005年10月26日‐2012年6月
著者等紹介
荒木和博[アラキカズヒロ]
特定失踪者問題調査会代表、拓殖大学海外事情研究所教授。1956年東京生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。現代コリア研究所研究部長を経て、拓殖大学海外事情研究所専任講師、助教授、04年より教授。北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)事務局長時代より一貫して拉致問題の最前線に立ち、被害者救出のために活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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