出版社内容情報
ジュデイス・バトラー[ジュデイスバトラー]
著・文・その他
竹村和子[タケムラカズコ]
翻訳
内容説明
権力はいかに言説のかたちをとって身体・精神・欲望を形成するのか。女と男の弁別が身体の自然に根ざすとする本質論的前提を根底的にくつがえし、セクシュアリティ研究の方向を決定づけたフェミニズム/クィア理論の最重要書。
目次
第1章 “セックス/ジェンダー/欲望”の主体(フェミニズムの主体としての「女」;“セックス/ジェンダー/欲望”の強制的秩序;ジェンダー―現代の論争の不毛な循環 ほか)
第2章 禁止、精神分析、異性愛のマトリクスの生産(構造主義の危うい交換;ラカン、リヴィエール、仮装の戦略;フロイトおよびジェンダーのメランコリー ほか)
第3章 撹乱的な身体行為(ジュリア・クリステヴァの身体の政治;フーコー、エルキュリーヌ、セックスの不連続の政治;モニク・ウィティッグ―身体の解体と架空のセックス ほか)
著者等紹介
バトラー,ジュディス[バトラー,ジュディス] [Butler,Judith]
カリフォルニア大学バークレー校、修辞学/比較文学の教授。哲学専攻
竹村和子[タケムラカズコ]
お茶の水女子大学大学院修士課程修了。筑波大学大学院博士課程退学。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科教授。専攻は英語圏文学、批評理論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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夜間飛行
162
1章。幼い日に叱られた経験、そこで良くないとされたトラブル(連続性と首尾一貫性を欠くもの)が、ここでは良きものとされる。フェミニズムの女という主体は何と曖昧だろう(女は○○だと規定すれば必ずそこに漏れる人がいる)。主体/アイデンティティとは、それが理解可能なら社会に保証されるようなものだとしながら、それとは別に真のアイデンティティを模索するようだった。性の二元論的規範から逸脱し、連続性を欠いた理解不能なものとして、ジェンダーアイデンティティはパフォーマティヴに(この意味が私には難しいが)構築されるという。2025/09/18
夜間飛行
157
3章では、クリステヴァが父の法を攪乱するものとした前言説的な〝母の身体〟について、それは文化を作るのではなく逆にその産物だと論じる。フーコーの「性の歴史」を読まないと理解しきれないが、ここではフロイトの欲動論の原因と結果を逆転させている。次いで、解放としてのエロスというラカン派理論を批判したフーコーが、一方で両性具有者エルキュリーヌの読解において解放理念を温存していることを指摘し、それに対してあくまで言説内部で生産されるセクシュアリティというフーコー本来の思想を支持しつつ、身体上に書かれる政治を追究する。2025/09/25
夜間飛行
149
2章では普遍性が問い直される。性が親族関係によってジェンダーに変換されるとする構造主義。シニフィアンから遮られ抑圧された快楽を記号が代替する営みにジェンダーを見出すラカン。いずれも言語による分節化以前の欲望を前提とし、女性性は普遍的な父権秩序を作り出す他者として扱われる。ラカンのいう仮装が真の女性性だとしても、それに先立つ分割は旧約聖書的で支配的だ。そもそもフロイトは人は幼時に愛の対象を喪い、メランコリックに対象と同一化しつつジェンダーを身につけるというが、著者はその過程を文化の中の法の抑圧によるとみる。2025/09/21
∃.狂茶党
19
フェミニズムの本、フェミニズム批評というべきかもしれない。 精神分析や現代思想などを道具に、それらを批判していく。 些細なことだが、トランスジェンダーの訳語と、ダナ・ハラウェイの表記は、新装にあたって手直しできなかったんだろうか。 トランスジェンダーの話は、ほぼなくて、もっぱら異性愛・同性愛をめぐって、女性という枠組みへの疑念が綴られていく。 2025/08/03
ルンブマ
9
現代はジェンダー・トラブルの時代ではあるとはいえ、バトラー的な「撹乱」の戦略は異性愛に対しては何の影響も及ぼしていないという問題がある。異性愛側はびくともしない。だからこそみんな、安心して「多様性」などと言ってられる。異性愛からしたら、そんな「撹乱」だなんて、怖くなんてないから。2023/04/14
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