出版社内容情報
イタリア現代思想の旗手によるライフワーク「ホモ・サケル」シリーズ最新作。西洋古典のなかから、従来の政治学の枠組みでは捉えきれない「スタシス(内戦)」の概念を大胆に抽出する。9.11以後のテロ戦争から、昨年のパリ襲撃事件、日本の国会前デモまで、いまの国内外の政治情勢を考察するうえでも必読の一冊。
目次
1 スタシス
2 リヴァイアサンとビヒモス
著者等紹介
アガンベン,ジョルジョ[アガンベン,ジョルジョ] [Agamben,Giorgio]
1942年生まれ。美学・言語哲学から出発し、現在では政治哲学を中心に著作を発表している
高桑和巳[タカクワカズミ]
1972年生まれ。慶應義塾大学理工学部准教授。専門はイタリア・フランス現代思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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hitotoseno
9
古代ギリシャにおいて戦争は二つの形式を持っていたとされる。一つは「ポレモス」、そしてもう一つは「スタシス」である。ポレモスは対外的な戦争に結び付けられ、スタシスは家の内戦に結び付けられることが多い。ここには我々にとってなじみである「ポリス」と「オイコス」の例の区別が相変わらず働いているように思われる。しかしながら、アガンベンは物事はそう簡単に分けられるものかと疑問符をつける。2018/01/12
保山ひャン
2
アガンベンが2001年に行った内戦(スタシス)についての2つのセミナーが収められている。「スタシス」は、ロローによるギリシアにおける内戦の研究(内戦の本質はオイコスに由来する家族内戦争で、オイコスは紛争と和解の両義性を持つ)を参照し、アガンベンはスタシスは家族内戦争ではなく例外状態に似た装置で、政治をオイコス(家族)とポリス(都市)を両極とする力場として捉える。「リヴァイアサンとビビモス」は、ホッブズの書の扉絵の謎解きから、内戦を自然状態の都市への投影と捉え、ホッブズの終末論を考察する。2018/07/01
たなか
1
ホッブズのリヴァイサンの絵についてダ・ヴィンチコード的な謎解き、神学から政治への流れが確実にある、君主制制定時に人民は一瞬現れて群衆に還るという逆説とか群衆が議会で君主決める瞬間に群衆は人民になって次の瞬間から君主が人民とならざるおえない、家より会社に心がある場合、家が闘争の場となるように、そもそも心をどちらに置くかの闘争が「内戦」として含まれている、大赦として内戦の傷は水に流さなければならない、むしろ日和見こそ許されざる2016/09/05
まぶたのあるいきもの
1
かなり難しいです。『スタシス』と『リヴァイアサンとビヒモス』の二つの講演が収められています。『スタシス』は古代ギリシアにおけるポリスの内戦についての考察。ホモサケルがゾーエーとビオスの脱構築を目指しているとすれば、スタシスではオイコスとポリスの脱構築を目指しているよう。『リヴァイアサンとビヒモス』はホッブズの『リヴァイアサン』を主権、人民、マルチチュードをキーにホッブズの政治思想を読み解くかたちになってますね。とにかく『リヴァイアサンとビヒモス』は難しい。もう少し役者解説欲しかった。2016/05/08
Mealla0v0
0
スタシスは(内戦)、オイコス/ポリスを脱構築するものとして措定され、常にその都度政治なるものは再編成される。そして、このスタシスは今日「世界的内戦」としての「テロリズム」という形を取る。▼テロリズムは国家を逃れた暴力である。だが、まずは国家について考えなくてはならない。そこで参照されるのは『リヴァイアサン』。アガンベンはリヴァイアサンの図像学を展開しながら、それが無神論者ホッブズを神学的に、終末論的に読みなおすという作業であった。人民が人民として不在であるといった指摘は刺激的だが、全体的に難しい。要再読。2016/06/10
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